麤皮 ARAGAWA ロンドン vol.2 – 至高のステーキ職人

ロンドンのメイフェアにオープンした「麤皮 ARAGAWA LONDON」。ベールに包まれるこの比類なきステーキ店の全貌に迫る特集をお届けしています。第二回目では、40年を超えて炉釜で但馬牛を焼き続け、ステーキ職人・今吉和雄さんの技術と、彼の半生を描きます。

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第二章 肉の職人

日本の最高峰を誇るステーキの名店「麤皮」 ロンドン店の、最高の但馬牛を焼くその現場は、ただただ、静かだ。

前回の記事でご紹介したように、ARAGAWAでは、純血但馬牛の中でも特に長期肥育された、日本でも、幻と呼ばれる、希少な肉が供されている。

しかし、この最高峰の和牛を焼く場には、大きく立ち昇る炎や、肉の塊が鎮座する重厚な鉄のグリルは無い。脂が滴り落ちて発するジューっという唸りや、熱源のパチパチといった音も一切ない。

ここにあるのは、ある種の静寂。そして、耳に神経を集中させる職人だけが存在する。

尽力の末に生み出された至高の肉が、今もし、目の前にあるのなら、それを調理する人物は一級でなければならないと、誰しもが思うだろう。

ここ、ARAGAWA Londonでは、今吉和雄氏がそれを担う。

麤皮東京店で、40年にも渡り、肉の調理を担当してきた職人である。ロンドン店のオープンに際して、彼も、英国へと居を移した。

彼が特級の但馬牛を調理するのは、“炉窯(ろがま)”だ。 

炉窯は、特別な耐火煉瓦や石材で作られ、大きなドーム型または半円筒型の構造を持つ調理窯。内部には肉を置くための棚が設けられ、金属の串に刺した素材をそこに配置することで、肉が直接に触れることなく、熱だけで調理される。ちなみに、ARAGAWAで使用している金串はピアノ線を特別に加工したものだ。

炉窯はオープンファイアではなく、窯の入口には扉やシャッターがあり、密閉構造となっている。調理中は扉を閉じ、熱が外に逃げるのを防ぎ、内部の温度を高温に保ち、熱が効率的に対流することで、均一な調理が可能になる。

熱源は炭。

内部の温度は600度まで上がる。高温で短時間に焼き上げるため、肉の水分が逃げるのを最小限に抑え、しっとりと肉汁を十分に保ったままの仕上がりを可能にする。

これ以上の炉窯の詳細は「企業秘密」と 、オーナーの小川光太郎氏は微笑みながら言う。

しかし、仮に構造をそのままそっくり真似たとしても、決して同じように肉を仕上げることができないことは、容易に分かる。

その理由は二つある。

芸術的なる備長炭

一つ目は、炭。ARAGAWAが使用している備長炭だ。

備長炭とは、日本で広く使用されている高品質の炭の一種で、主にウバメガシ(カシ)などの堅木から作られる。備長炭は、硬くて高密度であり、燃焼時に高温を維持することができ、さらには、煙や臭いが他の炭と比べても少ない。そのため、料理や茶道具の燃料として非常に重宝されている。
一般的な木炭に比べて、備長炭は燃焼温度が約800~1000度と高く、燃焼時間が非常に長いこともその特徴だといえる。また、見た目にも美しい銀色の光沢を持つことから、高級な炭として、今や世界でも知られる名称となっている。

しかし、ARAGAWAが使用する備長炭は、その中でも紀州でも最高級を誇るもの。紀州という名は、備長炭を少しでも知る人なら、すぐに思い起こされるだろう。グレードは、炭を扱う職人ならば、誰もが求める、「上小丸」という大きさのものだ。

「いい炭は、はじけないし、熱の持ちもいいです。悪いものだと肉の脂が落ちると消えてしまうものもあります」

大きさや硬さを見て、品を判断するが、今吉氏は、「必ず同じ炭職人を指定して、購入している」という。

炭をつくるのは、まるで陶芸家のようだと、私は思う。

木を見極め、火と温度を扱う術を心得た、職人だ。

私もこれまで、“日本でも最高級”と称する備長炭をいくつか見てきたが、ARAGAWAで目にしたものは、私がこれまで出会ったものとは、全く違っていた。細く硬く引き締まったフォルム。見た目にも、密度が強烈に高いことがすぐに分かる。互いを拍子木のように打ちつけると、それはまるで、クリスタルのグラスを合わせた時のような、透き通った高音の、波長の長い、ベルカント(bel canto)の響きが伸び上がるようにエコーする。

「強度は金属と同じくらいですよ」

と、マネジャーのスティーブンが説明してくれた。

表面と切り口も、銀色かかった艶のある見事な光沢が照り輝いていて、これが炭なのかと、目を疑ってしまう。

煙がほとんど出ず、パチパチと弾けることもないので、飛び散る炎で肉の表面を痛めてしまうことがない、と今吉氏は言う。

音で焼く

もう一つの理由は、当然のことながら、焼きの技術、つまり、職人としての腕だ。

今吉さんは、焼きの途中を、あえて見せてくださった。

表面は、思いの外、メイラード反応がしっかりなされていて、小さくぐつぐつとたぎるような印象もある。しかし、その反応そのものは非常に細やかで繊細で、そんな風に肉が焼ける状態を目にすることは、これまでなかった。

当然、大きさや肉の状態によって変化するが、時間にして、炉窯で焼き上げる所用時間は、約20分程度だという。

一度、扉を閉めてしまうと、中は全く見えない。

そして、今吉氏は、できれば、一度か二度だけ扉を開けることが理想的だという。

となれば、中に置かれた肉の様子を知るには、音で判断するしかない、ということだ。

耳で、ほんの僅かな、肉の表面が熱で反応しているを、その違いを聞き分けて、焼け具合を判断していると言う。

「焼いている時は、できれば誰とも話はしたくないですね」

そんな時に、私が横から色々な質問をしてしまっていたのは、まさに、愚の骨頂であったと、後から気づくのだ。

味付けは、塩と胡椒のみ、だという。

塩は、日本で使っている焼き塩と同じものを、イギリスでも用いる。塩は、店で非常に細かな粒にまでミルで挽いて、表面に非常に均一になるよう、高い位置から散らしかける。湿気は使用する塩にとっても大敵と、話す。

ちなみに、ソースはないか、と聞かれるお客様も多いそうだが、ARAGAWAでは、味付けは塩と胡椒のみとなっている。

「肉の芳香、噛んだときの繊細な風味、クリーミーな食感を感じてほしいから」

と、オーナー小川氏は言う。

炉窯は東京と同じように作り上げただろうが、イギリスだと、やはり、何かが違うのだろうか。。。

「英国の環境は全く違っています」そして、「何もかもが難しい」と、今吉さんは言う。

オーナーの小川光太郎氏は、窯の難しさは全て、“空気の流れ”、だと、加えて説明してくださった。

「炉窯は、電気やガスは一切使わないのですよ。炭の熱だけで稼働しています。だから、気圧と、あとは “空気がどう流れるか” だけで調整しています。温度も、それこそ、焼け具合も、すべて、空気の流れを操って調理するのです」

麤皮へ

九州出身の今吉さんは、小学生の頃から料理をするのは好きだったという。工業高校へ進学したが、技能系の仕事には就かず、憧れもあった東京の、町場の洋食屋で仕事を始めた。5年ほどこの店で働いたが、その間、本格的な料理をするのではなく、ずっと、サラダ担当をしていたという。そして、そのことを彼は不満に思うこともなかった。

そんな時、店のフロアマネージャーが彼にこう言った。

「もし、料理の道をこれからも進みたいのなら、ここにいてはダメだ。もっと名の通った、名店へ行くべきだよ」

そこで、名前だけは知っていた麤皮のカジュアル店でもあった、「バルザック」へ連れて行ってくれた。

初めて食べる本格的な料理に、今吉さんは心底驚いたという。

そして、運命が引き寄せるかのように、麤皮の創設者である先代オーナーシェフと巡り合い、麤皮本店で働くことになった。今吉さんが23歳の時のことだ。

2年間、彼は先代のアシスタントとして働いた。3年目に、「そろそろ焼いてみるのはどうだ」と、言われたが、今吉さんは、自分にはまだまだ早い。焼くのだなんて、滅相もない、と断ったそうだ。

それでも、先代は強く勧めてきたが、半年間、カジュアル店で修業をさせてもらってからにしたい、と伝えたという。

「自分から焼きたくない、と言うだなんて、変なやつだな」

と、先代には言われたという。

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いつも初心あれ

「塩はこう振る。炭はこう並べる」

先代の、焼き方を教えるにあたっての教えは、そんなシンプルなものだった。

しかし、その通りにやってみても、オーナーが焼いた肉は、ふっくらとボリュームがあって、見た目からしてとても美味しそうに見えたが、同じ肉を、同じ通りに焼いているつもりなのに、今吉さんは自分が焼いた肉は、「貧相に見えた」と言う。

味も、当然違っていた。

「何を、どうやれば、彼のように仕上がるのか、自分には全く分かりませんでした」

麤皮は、当時から、特別な顧客が通うエクスクルーシブな店として存在していた。

それはつまり、食べる側も、美食の数々を経験した、並々ならぬ舌の持ち主ばかりである。

ロンドン店でもみられるように、オープンキッチンの店は、窯の前に誰が立ち、誰が肉を焼いているかが、一目で分かる。

今吉さんが25歳で窯の前に立ち始めた時、常連客からの風当たりは非常に厳しかった。

「君、誰? 変なもの焼いたら、突き返すからね」

そんな言葉がかかることは常だった。

あるお客は、実際にテーブルに出されたお皿を焼き場にいる彼の所まで持ってきた。無造作に一切れを、今吉さんの目の前で切り取ると、「食べてみろよ」と、言って、突き出した。

今吉さんは、その出された一切れを自分で食べてみて、美味しくない、と、思ったという。

でも、その常連客は、何が違うか、どのように変えればいいのか、その事については教えてはくれなかった。

「自分で考えなきゃ」

そう言って、また、席に戻るのだった。

日本では、割烹や鮨屋のように、カウンターを挟んで料理人と食べ手が対峙する環境が、昔からある。

その中で、よく言われているのは、お客が料理人を育てる、だ。

その店の常連客は、愛情を持ってダメ出しをする。

新しく入った新米の料理人を、お客が皆で育てていく、という風習があった。

その教えは、時に、辛い甘いだけではなく、味わいを超えたところにあるもの、美や哲学的な事にまで至る。

往年の素晴らしい食べ手には、一流の文化人も多く、彼らが贔屓の店へ足繁く通い、我慢強く、味わいのその先にあるものを、料理人へと伝えていた、そんな、時代だ。

今吉さんが窯の前に立ち始めて、7、8年立った頃、「生意気かもしれないけれど」と、前置きをして、「ようやく少し自信が持てるようになりました」と語る。

そうして、あの時から数えて、今、40年以上の時が流れた。

その間も、さまざまな人々から、違った意見を頂いてきたけれど、今吉さんは、その都度、いつも先代が言っていた「初心」に戻るという。

「右へ左へ揺れないで、最初に教わった事、塩と胡椒、炭といったこと、そこに戻るだけなんです」

奉公

九州を出て、23歳で麤皮に足を踏み入れた青年は、40年の時を経て、今、英国の地で肉を焼く。

「この年になって、違った国に移住するのは、とても難しいことです。私は英語も話せませんし」

そう言う今吉さんだが、表情はいつも、どうしても柔らかいのだ。

「大変なことも多いのですが、それでも、私は、この今の期間を、“奉公” だと思って、努めています」

奉公とは、日本の伝統的な精神で、歴史的に主人に忠実に仕えることを意味する。忠誠心や責任感、信頼関係を重視する価値観だ。

輝きの意味

もし、あなたが、40年間、たった一つにことに打ち込んだなら。

そして、遠く故郷を離れた、異国の地で

20代の若き日、心に秘めたる熱い想いを持って踏み出した

輝かんばかりのあの日が、心に蘇ったなら。

人生のいくつもの出来事が

脳裏を、胸を、流れていくなら。

その一瞬に、思わず涙が湧き出てきたら。

その人は、確かに、

かけがえのない人生を歩んできたのだと、私は想像する。

今、目の前に立つ今吉さんの目元を、

焼き場の煌々と明るい電光が照らしつける。

やわらかく微笑んだ彼の瞳の

下瞼のひと筋を、

なぞる様に、隙間なくかたどりながら、

そこに、キラキラと輝く

彼の人生が

ゆっくりと湧き上がってくるのを、

私は吸い込まれるように見つめている。

【ARAGAWA】
38 Clarges Street
London W1J 7EN

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