麤皮 ARAGAWA ロンドン vol.2 – 至高のステーキ職人

ロンドンのメイフェアにオープンした「麤皮 ARAGAWA LONDON」。ベールに包まれるこの比類なきステーキ店の全貌に迫る特集をお届けしています。第二回目では、40年を超えて炉釜で但馬牛を焼き続け、ステーキ職人・今吉和雄さんの技術と、彼の半生を描きます。

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第二章 肉の職人

日本の最高峰を誇るステーキの名店「麤皮」 ロンドン店の、最高の但馬牛を焼くその現場は、ただただ、静かだ。

前回の記事でご紹介したように、ARAGAWAでは、純血但馬牛の中でも特に長期肥育された、日本でも、幻と呼ばれる、希少な肉が供されている。

しかし、この最高峰の和牛を焼く場には、大きく立ち昇る炎や、肉の塊が鎮座する重厚な鉄のグリルは無い。脂が滴り落ちて発するジューっという唸りや、熱源のパチパチといった音も一切ない。

ここにあるのは、ある種の静寂。そして、耳に神経を集中させる職人だけが存在する。

尽力の末に生み出された至高の肉が、今もし、目の前にあるのなら、それを調理する人物は一級でなければならないと、誰しもが思うだろう。

ここ、ARAGAWA Londonでは、今吉和雄氏がそれを担う。

麤皮東京店で、40年にも渡り、肉の調理を担当してきた職人である。ロンドン店のオープンに際して、彼も、英国へと居を移した。

彼が特級の但馬牛を調理するのは、“炉窯(ろがま)”だ。 

炉窯は、特別な耐火煉瓦や石材で作られ、大きなドーム型または半円筒型の構造を持つ調理窯。内部には肉を置くための棚が設けられ、金属の串に刺した素材をそこに配置することで、肉が直接に触れることなく、熱だけで調理される。ちなみに、ARAGAWAで使用している金串はピアノ線を特別に加工したものだ。

炉窯はオープンファイアではなく、窯の入口には扉やシャッターがあり、密閉構造となっている。調理中は扉を閉じ、熱が外に逃げるのを防ぎ、内部の温度を高温に保ち、熱が効率的に対流することで、均一な調理が可能になる。

熱源は炭。

内部の温度は600度まで上がる。高温で短時間に焼き上げるため、肉の水分が逃げるのを最小限に抑え、しっとりと肉汁を十分に保ったままの仕上がりを可能にする。

これ以上の炉窯の詳細は「企業秘密」と 、オーナーの小川光太郎氏は微笑みながら言う。

しかし、仮に構造をそのままそっくり真似たとしても、決して同じように肉を仕上げることができないことは、容易に分かる。

その理由は二つある。

芸術的なる備長炭

一つ目は、炭。ARAGAWAが使用している備長炭だ。

備長炭とは、日本で広く使用されている高品質の炭の一種で、主にウバメガシ(カシ)などの堅木から作られる。備長炭は、硬くて高密度であり、燃焼時に高温を維持することができ、さらには、煙や臭いが他の炭と比べても少ない。そのため、料理や茶道具の燃料として非常に重宝されている。
一般的な木炭に比べて、備長炭は燃焼温度が約800~1000度と高く、燃焼時間が非常に長いこともその特徴だといえる。また、見た目にも美しい銀色の光沢を持つことから、高級な炭として、今や世界でも知られる名称となっている。

しかし、ARAGAWAが使用する備長炭は、その中でも紀州でも最高級を誇るもの。紀州という名は、備長炭を少しでも知る人なら、すぐに思い起こされるだろう。グレードは、炭を扱う職人ならば、誰もが求める、「上小丸」という大きさのものだ。

「いい炭は、はじけないし、熱の持ちもいいです。悪いものだと肉の脂が落ちると消えてしまうものもあります」

大きさや硬さを見て、品を判断するが、今吉氏は、「必ず同じ炭職人を指定して、購入している」という。

炭をつくるのは、まるで陶芸家のようだと、私は思う。

木を見極め、火と温度を扱う術を心得た、職人だ。

私もこれまで、“日本でも最高級”と称する備長炭をいくつか見てきたが、ARAGAWAで目にしたものは、私がこれまで出会ったものとは、全く違っていた。細く硬く引き締まったフォルム。見た目にも、密度が強烈に高いことがすぐに分かる。互いを拍子木のように打ちつけると、それはまるで、クリスタルのグラスを合わせた時のような、透き通った高音の、波長の長い、ベルカント(bel canto)の響きが伸び上がるようにエコーする。

「強度は金属と同じくらいですよ」

と、マネジャーのスティーブンが説明してくれた。

表面と切り口も、銀色かかった艶のある見事な光沢が照り輝いていて、これが炭なのかと、目を疑ってしまう。

煙がほとんど出ず、パチパチと弾けることもないので、飛び散る炎で肉の表面を痛めてしまうことがない、と今吉氏は言う。

音で焼く

もう一つの理由は、当然のことながら、焼きの技術、つまり、職人としての腕だ。

今吉さんは、焼きの途中を、あえて見せてくださった。

表面は、思いの外、メイラード反応がしっかりなされていて、小さくぐつぐつとたぎるような印象もある。しかし、その反応そのものは非常に細やかで繊細で、そんな風に肉が焼ける状態を目にすることは、これまでなかった。

当然、大きさや肉の状態によって変化するが、時間にして、炉窯で焼き上げる所用時間は、約20分程度だという。

一度、扉を閉めてしまうと、中は全く見えない。

そして、今吉氏は、できれば、一度か二度だけ扉を開けることが理想的だという。

となれば、中に置かれた肉の様子を知るには、音で判断するしかない、ということだ。

耳で、ほんの僅かな、肉の表面が熱で反応しているを、その違いを聞き分けて、焼け具合を判断していると言う。

「焼いている時は、できれば誰とも話はしたくないですね」

そんな時に、私が横から色々な質問をしてしまっていたのは、まさに、愚の骨頂であったと、後から気づくのだ。

味付けは、塩と胡椒のみ、だという。

塩は、日本で使っている焼き塩と同じものを、イギリスでも用いる。塩は、店で非常に細かな粒にまでミルで挽いて、表面に非常に均一になるよう、高い位置から散らしかける。湿気は使用する塩にとっても大敵と、話す。

ちなみに、ソースはないか、と聞かれるお客様も多いそうだが、ARAGAWAでは、味付けは塩と胡椒のみとなっている。

「肉の芳香、噛んだときの繊細な風味、クリーミーな食感を感じてほしいから」

と、オーナー小川氏は言う。

炉窯は東京と同じように作り上げただろうが、イギリスだと、やはり、何かが違うのだろうか。。。

「英国の環境は全く違っています」そして、「何もかもが難しい」と、今吉さんは言う。

オーナーの小川光太郎氏は、窯の難しさは全て、“空気の流れ”、だと、加えて説明してくださった。

「炉窯は、電気やガスは一切使わないのですよ。炭の熱だけで稼働しています。だから、気圧と、あとは “空気がどう流れるか” だけで調整しています。温度も、それこそ、焼け具合も、すべて、空気の流れを操って調理するのです」

麤皮へ

九州出身の今吉さんは、小学生の頃から料理をするのは好きだったという。工業高校へ進学したが、技能系の仕事には就かず、憧れもあった東京の、町場の洋食屋で仕事を始めた。5年ほどこの店で働いたが、その間、本格的な料理をするのではなく、ずっと、サラダ担当をしていたという。そして、そのことを彼は不満に思うこともなかった。

そんな時、店のフロアマネージャーが彼にこう言った。

「もし、料理の道をこれからも進みたいのなら、ここにいてはダメだ。もっと名の通った、名店へ行くべきだよ」

そこで、名前だけは知っていた麤皮のカジュアル店でもあった、「バルザック」へ連れて行ってくれた。

初めて食べる本格的な料理に、今吉さんは心底驚いたという。

そして、運命が引き寄せるかのように、麤皮の創設者である先代オーナーシェフと巡り合い、麤皮本店で働くことになった。今吉さんが23歳の時のことだ。

2年間、彼は先代のアシスタントとして働いた。3年目に、「そろそろ焼いてみるのはどうだ」と、言われたが、今吉さんは、自分にはまだまだ早い。焼くのだなんて、滅相もない、と断ったそうだ。

それでも、先代は強く勧めてきたが、半年間、カジュアル店で修業をさせてもらってからにしたい、と伝えたという。

「自分から焼きたくない、と言うだなんて、変なやつだな」

と、先代には言われたという。

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いつも初心あれ

「塩はこう振る。炭はこう並べる」

先代の、焼き方を教えるにあたっての教えは、そんなシンプルなものだった。

しかし、その通りにやってみても、オーナーが焼いた肉は、ふっくらとボリュームがあって、見た目からしてとても美味しそうに見えたが、同じ肉を、同じ通りに焼いているつもりなのに、今吉さんは自分が焼いた肉は、「貧相に見えた」と言う。

味も、当然違っていた。

「何を、どうやれば、彼のように仕上がるのか、自分には全く分かりませんでした」

麤皮は、当時から、特別な顧客が通うエクスクルーシブな店として存在していた。

それはつまり、食べる側も、美食の数々を経験した、並々ならぬ舌の持ち主ばかりである。

ロンドン店でもみられるように、オープンキッチンの店は、窯の前に誰が立ち、誰が肉を焼いているかが、一目で分かる。

今吉さんが25歳で窯の前に立ち始めた時、常連客からの風当たりは非常に厳しかった。

「君、誰? 変なもの焼いたら、突き返すからね」

そんな言葉がかかることは常だった。

あるお客は、実際にテーブルに出されたお皿を焼き場にいる彼の所まで持ってきた。無造作に一切れを、今吉さんの目の前で切り取ると、「食べてみろよ」と、言って、突き出した。

今吉さんは、その出された一切れを自分で食べてみて、美味しくない、と、思ったという。

でも、その常連客は、何が違うか、どのように変えればいいのか、その事については教えてはくれなかった。

「自分で考えなきゃ」

そう言って、また、席に戻るのだった。

日本では、割烹や鮨屋のように、カウンターを挟んで料理人と食べ手が対峙する環境が、昔からある。

その中で、よく言われているのは、お客が料理人を育てる、だ。

その店の常連客は、愛情を持ってダメ出しをする。

新しく入った新米の料理人を、お客が皆で育てていく、という風習があった。

その教えは、時に、辛い甘いだけではなく、味わいを超えたところにあるもの、美や哲学的な事にまで至る。

往年の素晴らしい食べ手には、一流の文化人も多く、彼らが贔屓の店へ足繁く通い、我慢強く、味わいのその先にあるものを、料理人へと伝えていた、そんな、時代だ。

今吉さんが窯の前に立ち始めて、7、8年立った頃、「生意気かもしれないけれど」と、前置きをして、「ようやく少し自信が持てるようになりました」と語る。

そうして、あの時から数えて、今、40年以上の時が流れた。

その間も、さまざまな人々から、違った意見を頂いてきたけれど、今吉さんは、その都度、いつも先代が言っていた「初心」に戻るという。

「右へ左へ揺れないで、最初に教わった事、塩と胡椒、炭といったこと、そこに戻るだけなんです」

奉公

九州を出て、23歳で麤皮に足を踏み入れた青年は、40年の時を経て、今、英国の地で肉を焼く。

「この年になって、違った国に移住するのは、とても難しいことです。私は英語も話せませんし」

そう言う今吉さんだが、表情はいつも、どうしても柔らかいのだ。

「大変なことも多いのですが、それでも、私は、この今の期間を、“奉公” だと思って、努めています」

奉公とは、日本の伝統的な精神で、歴史的に主人に忠実に仕えることを意味する。忠誠心や責任感、信頼関係を重視する価値観だ。

輝きの意味

もし、あなたが、40年間、たった一つにことに打ち込んだなら。

そして、遠く故郷を離れた、異国の地で

20代の若き日、心に秘めたる熱い想いを持って踏み出した

輝かんばかりのあの日が、心に蘇ったなら。

人生のいくつもの出来事が

脳裏を、胸を、流れていくなら。

その一瞬に、思わず涙が湧き出てきたら。

その人は、確かに、

かけがえのない人生を歩んできたのだと、私は想像する。

今、目の前に立つ今吉さんの目元を、

焼き場の煌々と明るい電光が照らしつける。

やわらかく微笑んだ彼の瞳の

下瞼のひと筋を、

なぞる様に、隙間なくかたどりながら、

そこに、キラキラと輝く

彼の人生が

ゆっくりと湧き上がってくるのを、

私は吸い込まれるように見つめている。

【ARAGAWA】
38 Clarges Street
London W1J 7EN

aragawa-uk.com

instagram.com/aragawa_uk

麤皮 ARAGAWA ロンドン

昨年ロンドンのメイフェアにオープンした「ARAGAWA LONDON」。未だ、ベールに包まれている、和牛の至高「麤皮 ロンドン」の全貌に迫ります。

密やかに一部の食通の間で囁かれている「ARAGAWA」という名を、もしすでに聞いているなら、あなたはきっと、日本の和牛に精通している方に違いない。ロンドンの洗練されたメイフェアに佇むこのステーキハウスは、昨年10月、東京店と同じスタイルでオープンした。しかし未だ、このロンドン店はベールに包まれていると言えよう。

ARAGAWAロンドン店を噂で知る人にとっては、店のイメージは二つに分かれることだろう。

驚くほどの価格で提供されるステーキの店。あるいは、日本の和牛の頂点を味わえる聖域。

1967年に東京で創業し、フランスの美食家で文学の巨匠であるオノレ・ド・バルザックの同名小説にちなんで名付けられた「麤皮(あらがわ)」は、最高の質を誇る日本のステーキ店の中でも、伝説的な存在として知られる。昨年、この店が、ロンドンの静かな通りに、東京本店と呼応する形で根を下ろした。オーナーの小川光太郎氏は、国外であっても、最高のものだけを提供するという揺るぎない信念を、この数年の間、私に語ってくださった。コマーシャル化され過ぎた今の風潮を避け、開店後も、本物への真摯な姿勢を示し続けている。

この、稀有なステーキ店は、一種の排他的なオーラに包まれつつ、この数ヶ月間は限られた美食家たちだけが味わう場所として在り続けてきた。この記事では、その肉の、料理の、和牛が誇る至宝の如き層を一つずつ解き明かしながら、その類まれな和牛の世界を巡っていく。麤皮を麤皮たらしめるレガシー、それを生み出す職人技、そこにかける真摯な取り組みを探求していきたい。

このステーキの名店と日本の和牛の頂点を理解するために、知っておくべき重要なキーワードがいくつかある。それらを一つずつ、詳しく掘り下げていこう。

第一章: 

和牛の最高峰、純血統但馬種

まずは、なによりも肝心な事から話さなければならない。

肉、について。

海外でも人気の高いWagyu。メニューでもその名を見かけると、特別な牛肉の扱いであることが即座にわかる。そして、価格もそれ相応に反応していることは、皆さんも周知の事だろう。しかし、Wagyuとは、訳せばJapanese cattleであり、日本在来種の牛をベースに交配を繰り返してつくられた牛のことを指す。和牛として認められるのは、「黒毛和種」「褐毛(あかげ)和種」「日本短角種」「無角和種」の4品種と、それらの品種間のハイブリッド。「黒毛和牛」は、そのうち90%以上を占めている。

1970年代から90年代にかけて、和牛の遺伝資源がオーストラリアやアメリカなどに持ち込まれ育てられたことにより、外国産の ”Wagyu” と記された肉も海外に出回るようになった。しかし、これらの牛肉は、日本で生まれ育った和牛とは、飼育環境や品質などが異なったWagyuであることは知っておきたい。

メニューに書かれている ”Wagyu” の文字だけでは、果たして、それが、日本で飼育されたものか、そうでないか、の区別はつかない。より厳密に日本産 Wagyu を求めるならば、日本の産地名をそこに探す必要がある。日本の地名が示すのは、それはその地方の基準に則って飼育された和牛である証だ。日本では、和牛肉を「和牛」として販売するためには、国内での飼育と品種の基準を満たすこと、そして追跡可能な10桁の個体識別番号の提示が必須とされている。

しかし、日本の中で最良質とされる黒毛和牛は、その元を辿れば、兵庫県の但馬牛、という種に行き着く。

但馬牛は、16世紀ごろより、その素晴らしい肉質を人々が認識し始め、その味わいを高めるための多大な努力がなされてきた。しかし、明治後半、より多くの肉身を得る目的で外国種との交配が過剰に行われ、品質が大きく変化してしまった。その事実に気づいた時には、事態は絶滅の危機に瀕していた。しかし、奇跡的に、たった四頭のみ、交配を免れて純血牛として存在していた牛が、兵庫県の小さな村で見つかった。これが、何百年にも渡り、日本で最高峰と言われていた但馬牛だ。

その四頭を大切に保護し、丁寧に継承をした結果、但馬牛は復活を遂げた。今、日本で上質の肉とされている黒毛和牛のほとんどは、この但馬種を源流にもつと言われている。但馬牛は、長年かけて得られた知見に基づく、特別な環境と飼育方法、その稀なる品種の特性から、深みある旨みを持ち、肉の芳香も高く、そして、何よりもサシの融点が他種の牛と比べて10℃程度低い。それだけに、食べた時の脂の口溶けがすこぶる綺麗なのだ。

もし、日本の牛肉の頂点を求めるなら、まずは但馬種の血統をもつ牛であることが非常に大切だ。その中でも、直結の純血を保っているものは、すこぶる少ない。美味なる和牛を求めるなら、まずは、純潔但馬牛であることが必須だ。その上で、究極の美味しさ、最高峰の味わいをとことん突き詰めるならば、最終的には、肥育農家が誰であるか、が、何にも増して、要となる決定的要素だ。

天然の漁や狩猟であっても、誰がその生き物をとるのかは、品質に大いに関わってくる。どの季節に、どの場所へ赴き、どのようにして獲物を見つけ出し、そして、仕留めた後の処理をどのようにして、どのような気持ちで成すか。全ては人の手に委ねられている。ましてや、それが、農場や牧場のように、人の手がさらに大きく関わるとなると、その人物の手に甚大な影響力が生まれる。

そんな、名肥育家が扱う牛の中でも、買い手が肥育家とどれだけの信頼関係を持っているかは、さらに大きな意味を持つ。彼らがどれだけ特別な配慮を施して飼育しているか、雌牛か去勢牛か、経産牛か否か、肥育月数、飼料、肥育環境など、そういった重要なファクターを丁寧に加味し、そして、それらをも超えたこだわりが、最終的に、極稀で、希少な数のみの最高峰の肉質を持つ牛となって誕生する。そこには、人と人とのつながりが大きく関わっている。

そのような世界では、今日明日で仕入れが可能になるような牛は、どこにもない。

麤皮には、日本に数多とある但馬牛の中でも、国内であっても幻と呼ばれるランクの、最高峰の和牛がある。

その一つが岡崎牧場。但馬純血種、雌牛のみ。滋賀県近江にある岡崎牧場は、日本全国の肉を扱う高級店の誰もが、この農家の肉を手に入れたいと願う農家だ。そして、麤皮オーナーの小川光太郎氏は、岡崎牧場と10年以上の付き合いを重ね、現在の牧場オーナーである6代目岡崎氏へ、味わいを見越したリクエストを重ね、共に試行錯誤して肥育を行なっている。そうしてようやく生み出される、稀なる味わいの、麤皮のためだけの肉が創り上げられる。

「特に、私が心を割いているのが、肥育月数です」

と小川氏は言う。

「麤皮では38ヶ月から、長いものだと、60ヶ月肥育された肉を使います。長期肥育を岡崎さんと本格的に試み始めたのは、7、8年前ぐらいからです。当然、コストもかかるし、それだけ長く育てても、必ずしもいい牛になるとは限らないのです。それでも、長期肥育に心を割いて挑戦し続けるのは、その味わいが短期肥育では決して得られないものだからです」

ここ数年、日本の牛肉の世界では長期肥育が盛んに謳われるようになってきたが、このトレンドは、麤皮が作り出したものである。

「長期肥育された牛の肉質は、脂の融点がさらにグッと下がります。口溶けが非常によくなり、食べた時の脂の溶ける滑らかなセンセーションが全く変わってきます。そして、そのサシだけでなく、脂と赤身が融合しあったような、食感。サシと赤身に広がる、非常に奥行き深い旨みがのってきます」

その言葉通り、麤皮の肉は、分かりやすい突出した脂だけがインパクトを持つ和牛とは一線を画す。日本の上質の肉をそれなりに食べてきた人であっても、それまでにない新しい境地を、そこに見ることができる。麤皮の肉には、和牛の中でも特に芳醇な香り、キメの細やかで品のある柔和で滑らかな肉質、繊細な脂、深みと余韻の長い旨み、複雑に層を重ね持つ味わい、がある。

もし、あらゆる食において、特に、日本の素材の最高のものを初めてを口にするとき、人は、そのあまりにも上品で、エレガントな風味、しかし、奥行きのある余韻の長い深い味わいに、静かに驚く。あるいは、もしかすると、その清涼で繊細な軽やかさに拍子抜けするかもしれない。

もし、これまで特に、勢いのある押し出しの強い味わい、言い換えれば、インパクトだけを強調した風味に慣れてしまっていたなら、そのギャップは顕著だろう。

しかしどうか、ワインで考えて欲しい。あなたがもしワイン通なら、極め付けのブルゴーニュは、果たしてそういった大太刀まわりの派手な味わいだろうか…。

年月を重ねた素晴らしいヴィンテージの、希少価値の高い作り手による、小規模な畑から生まれたその珠玉の一杯。そこには、深淵に潜むあまりにも美しい余韻と繊細な風味があるはずで、もし、あなたがそれを認め、好むのであれば、麤皮の肉へも、同じアプローチで接してほしい。

すると、和牛という世界の、新しい扉が開くはずだ。

ARAGAWA ロンドン では、岡崎牧場の他、小川氏が長年付き合いを重ねる、同じく極上の肥育農家から仕入れる肉だけが揃う。但馬純血統の未経産雌牛、長期肥育の肉、そして部位は、極上のサーロイン、フィレ、ランプ、ラム芯、イチボなどが用意されている。

400gの塊で焼き上げられたステーキは、一人分200gの、堂々とした高さのある姿で美しく盛りつけられてテーブルに運ばれる。この分量は非常に食べ応えがある。

これだけの肉を焼くには、当然のことながら、日本有数の焼き手、職人が求められる。

私が、なぜ今、ARAGAWAロンドンで肉を食べたいか、と聞かれると、現在、このロンドン店に、麤皮東京店で40年以上に渡り、肉を扱い、焼きを担ってきた職人・今吉和雄氏が、いるからだ。

職人、とは、その道を極めた人物を指す。

今吉氏については、次章で語る。

【ARAGAWA】
38 Clarges Street
London W1J 7EN

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https://www.instagram.com/aragawa_uk/

ジェフリーズ清水直子

はじめまして

ジェフリーズ清水直子です。

THE JAPAN SET では、ロンドンから、日本の食や文化について、
英語で、海外へ発信しています。

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文字を紡ぐということ

日本の素晴らしき文化を、
もっと、世界の多くの方々に知っていただきたい。

より深く知れば、感激は、もっと大きくなる

そんな想いで、活動しています。


外国の方に共感を持ってもらえる

というアプローチを大切に、

25年以上に渡る、海外生活を経て培った経験を活かし、

日本の食や文化、


それらをつくり上げ、発展し、支えている、


素晴らしき人々のことを伝えるべく


私が心から感動を覚える人モノこと、を

心を込めて丁寧に、言葉を一つ一つ選んで、

書き記し、

海外の方からも、同じような想いを感じていただけるよう

これからも、感動と、喜びを伝えていきたいと思っています。

プロジェクト

The Japan Set 主宰者として、日本の食文化を海外へ伝える活動、シェフ、レストラン、官庁・行政機関、企業様とのプロジェクト、

フードジャーナリストとしての執筆活動を行っています。

日本の食材、飲料、プロダクツ、技術は、海外でも、いま、大きな注目を浴び、成長を続けています。

また、インバウンドの需要は、現在、急速に増えております。

世界へ届けたい、という個人・企業の皆様の想いに対して、日本の食の知識を持ち、現地市場のトレンドや動きを把握し、現地のレストラン、経済人ネットワークを持つ強みを生かして、お役に立てると信じています。

これまでも、和食の世界遺産登録イベントや、日本大使館、農林水産省とも、本物の日本食を伝えるプロモーションにも、関わらせていただきました。

日本の素晴らしきもの、

それを、日本人としての目線や、食の知識という力で持って、

世界へ大きく広げて行きたいです。

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ご依頼がありましたら、下記までお知らせください。

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THE JAPAN SET とは、日本をすきな人たち、という意味を込めた、ネーミングです。 

今、世界が、地球が、激動の最中にある中、
皆さんと、より良き未来に向かって、
一緒に、日本と世界のコミュニティーをつくっていけると嬉しいです。

      
ジェフリーズ清水直子       

ご連絡メール  : naoko@thejapanset.com
インスタグラム   : www.instagram.com/the.japan.set_naoko

ニュースレター:   thejapanset.substack.com

これまでの主な活動、メディア・イベント・プロモーション

1995年: 渡英
フリーランス ライター他
柴田書店「CAKEng」にてイギリスのカフェ事情をリポートするコラム連載
Bramah Tea and Coffee ミュージアムにてレクチャーのアシスタント等
Un Verre du The Ltd  英国紅茶のコンサルタント
 
 
1997年6月
英国WSET(Wine & Spirits Education Trust) ハイヤーサティフィケイト取得 
 
 
1998年4月
英国WSET(Wine & Spirits Education Trust)  ディプロマI,Ⅱ Aテイスティング 認定基準獲得
 
 
1998年ー1999年 Ecole de Creation (エコールドクレアシオン) 大阪
日本でのWSETワインコース・マネジメント、マスターオブワインとのコミュニケーション、講義、講義通訳、紅茶講義講師
 
 
2000年ー2004年 食雑誌「あまから手帖」編集部。 大阪
編集者として雑誌の企画、取材、編集、執筆を担当。日本料理全般から、全食ジャンルに渡る一連のジャンル、海外のシェフとのやり取り、海外取材。アルコール類酒ジャンル担当。同誌にてワインコラム、その他企画連載を執筆。日本ソムリエ協会名誉会長でマスターソムリエ岡 昌治氏を始めとするアルコール類に関する企画、連載を担当。
 
 
 
2004年再渡英 ~ 現在
 
フリーランス食ジャーナリスト、The Japan Set 主宰者としてヨーロッパを中心とし、日本の食文化を海外へ伝える活動、官庁、企業、レストランやシェフとのプロジェクトを行っている。
 
 
 
 
 
英国での主な活動
 
・在英国メディア企業「クロスメディア」にて編集者として勤務。日本食のグロサリー「JAPANESE FOOD TRADE DIRECTORY」出版に関わる(2005年)
 
・京都菊乃井プロデュース・ロンドン日本食レストラン「Chrysan」のメニュー策定、企画立案、メディア対応、および立ち上げ全般に携わる(2012年)
 
・毎日放送食テレビ番組において、現地コーディネーションや取材サポート等。
 
・日本大使館主催・ユネスコ無形文化遺産祝賀イベントで、イギリスの政財界および文化界要人やメディア関係者約170名が参加。著名人の手配、コーディネート、アテンド、および大使館との調整を担当(2014年2月)
 
・インスタグラムを通じて、日本食を中心に情報発信を開始(2015年~現在)
 
・宝酒造 教育機関チャリティーガライベントにて、澪mioの提供を企画・実施(2017年)
 
・日本農林水産省・日本大使館・日本料理アカデミー主催・小学生向け食育プロジェクトで、ワークショップを企画・実施(2018年5月)
 
・THE JAPAN SET 設立(2020年)

Web、インスタグラムを使い、日本の食文化を海外へ向け英語でコンテンツを作成、本格的に発信。文章コンテンツの作成、写真撮影・編集、動画撮影・編集を全て個人で手掛ける。専門的でより深い知識をベースとした見解を盛り込んだ内容で、海外シェフ、レストラン、企業より強い信頼を得る。取材をもとにした長文記事を執筆・配信。ロックダウン中のシェフの葛藤を描いた記事は、JETROのレクチャーにて引用。食のWebメディアWatobiにて前編・後編の記事を執筆。日本政府、企業主催のイベント参加。現在は、情報発信に加えて、日本の食文化と海外をつなぐビジネスも展開。英国レストラン・シェフとのコラボレーション。日本発海外向け食品商品開発。日本食レストラン・食品飲料企業の海外市場向けWeb/SNSコンテンツ制作、コンサルタント、メディア情報発信企画アドバイスなど。

  
・日本料理アカデミー英語版インスタグラムで投稿運営(2022年4月~2023年3月)
 
・東北観光推進機構 英国メディア向けプロモーションオンラインイベントに参加 (2021年)

・濵田酒造・The Drinks Business誌 焼酎「DAIYAME 40」プロモーション、記事作成に関連する試飲&インタビュー時の通訳(2022年9月)
 
・農林水産省主催・米・米粉英国プロモーション インスタグラムにてプロモーション(2023年2月)
 
・全日本食学会サミットに関する在英国シェフへのコンタクトを担当(2023年3月)

・大阪洋食レストラン 海外向け商品開発のコンサルタント及びパッケージの英訳・商品ネーミング

・アサヒスーパードライ英国 インスタグラムにてプレゼントキャンペーンを実施(2023年4月-5月)
 
 その他、レストラン、シェフとのコラボレーション多数


 


 
記事執筆先、主なメディア
 
・専門料理
・料理通信
・ブルータス
・和食の扉 watobi

      他

 

     

photo ©︎ 2020 Hania Farrell

開化堂「のり缶」の物語

この捨てられていた、一つの海苔缶に、壮大な物語があった。それを知って、思わず、書かずにはいられなくなった。この小さな「のり缶」の物語を、皆さんにも知って欲しい。

ある日、八木隆裕さんは、一般家庭でよく見かける、このブリキの海苔缶、きっと、食べ終わった後の、空っぽになった缶が、事もなくゴミとして捨てられているのを見た時、途轍もない想いに襲われた。

日本最古の茶筒司『開化堂』の六代目である八木隆裕さん。
創業明治8年、英国からブリキが輸入された際、初代が、茶筒を130もの工程を経る手作りで、製作し始めた。
その素晴らしい技と品質は高く評価された。

しかし、第二次世界大戦が勃発する。
戦火の元、貴重な物資である金属類は国が召集するため、道具を手放さなければならなくなる。
道具がなくなってしまっては、茶筒づくりを続けていくことができないと、八木さんのお爺様は、地面を掘って地下にブリキ素材を埋めて隠し、密かに制作を続けた。
そのため、お爺様は、投獄されてしまう。
だが、それでも、茶筒を作り続けることを決してあきらめなかった。

終戦を迎え、日本は、高度成長期に入る。
今度は、機械による大量生産が始まり、ブリキ缶は一般家庭に、瞬く間に普及した。

あれから数十年を経て、八木さんは、あの日、海苔の缶が、何の躊躇もなく捨てられる時代となったことを、まざまざと目にする。

捨てられていた缶を拾い、工房へ持ち帰り、百年以上も続けられてきた技術で、開化堂の茶筒へと変えてみた。

滑らかで精密な缶は、そっと手を離すと、音もなく、息を潜めるようにして、蓋が閉じていく。

密閉率の高さは高度な技術の現れでもあるし、

シンプルさを極めた芸術的な美しさであり、

その上で、日々の暮らしに寄り添う、日常のもの、でもある。

輝く表面を、蓋が音もなくゆっくりと滑り落ちる様は、

人間の手が生み出す「匠」というものが、

生き物のように、目の前で動きとなって浮かび上がる、

その瞬間でもある。

「100年間、ずっと使い続けてもらえる物、それを作る意義を感じていますし、この先、何百年も伝えていきたいと思うのです」

100年先まで、使えるもの。
その後の、

また、先の100年。

もし今年、私がひとつ、開化堂の茶筒を手に入れたなら、

2122年には、私の大切な誰かが、その中に、茶葉か、別の“なにか”を収めていて、

2122年の棚、もしくは、未来型の物入れに、そっと置かれているのだろう。

未来は、もしかすると、モノを所有しない時代なのかもしれない。

それでも、開化堂のこの茶筒には、必ず、別の用途が見出され、生き残っていく、そんな「意志」と「魂」が宿る。

「プラスチックが登場した時、これは、素晴らしい素材だと言われ、もてはやされてきました。でも、現在は、この素材を減らそう、という動きになっています。素材への見方は、時代によって、変化するのです。そんな世の中で、100年という年月を超えていけるものを作り続けることに、こだわって行きたいのです」

例えば、ローマ時代の皇帝のように、もしくは、老舗のお店であっても、その長い歴代を振り返る時、どこかの時代に登場する、革新的な何代目かの人物がいる。

6代目の八木隆裕さんは、開化堂という歴史の中で、そのような人物なのだと感じる。

今の空気を読む力、チームをつくる力、コラボレーションというアイデア、そして、彼自身に、備わる雰囲気。
メディアがこぞって彼をフィーチャーする理由が、なんとなく分かる。

しかし、それを超えて、八木隆裕さんの人を惹きつける引力は、根底に流れる、強い使命感だと思う。

ものを手にしたいと思う時、私たちは、単純にその物体を所有するのではなく、そこにある物語を、手のひらと、心に、感じたい。

あの、捨てられていた海苔缶が、今、開化堂という、精神的なフィルターを通して、新しいものへと生まれ変わった。
そこに、どんなメッセージがあるか、少しだけ考えてみると、ハッとさせられる。

伝統を絶やさないことが、今の日本のものづくりの大きな課題ではあるが、
このような逸話を伺うと、また、どうしても、人ありきのことなのだと、ガツンと、思い知らされる。

そんな人物が登場することは、やっぱり、偶然、なのだろう。
でも、もしかすると、時の流れというものは、それが、必然、として作用しているのかもしれない。

それらが混沌となって、歴史となる。

伝統と未来。


エリザベス女王在位70周年のジュビリー式典に沸く英国で、
歴史という言葉が、降り注ぐ中で、
この、八木さんが手にする「のり缶」のお話は、
胸に、鋭く突き刺さる。

そして、私は、私にとっての、開化堂の茶筒ストーリーを始めることが、

今は、楽しみでならない。

開化堂】

京都で明治8年より創業を続ける、日本最古の茶筒司。初代が生み出した工程を現在も守り、手作りで全ての制作を行う。その価値は世界にも認められ、英国V&A博物館のパーマネントコレクションとしても選出される。

www.kaikado.jp

つろく (割烹・京都)

『京味』の技を受け継ぐ、若手料理人・上田健登さんが魅せる、京都の隠れ家。

以前より、「つろく」さんのお名前を、方々から何度も聞いていた。
そのほとんどが、「京都の方がこっそりいく店」だったり、「食通の間で今よく話題になっているのよ」という感じだった。

気にならないはずはない。

私の今回の日本帰国そのものが、急な予定だったので、ほんの数日前という電話にも関わらず、思いがけず空席があり、こんな風に、数日前にすっと予約が取れた事が、なによりも嬉しい。

かつての文豪の方々が、書物によく書かれていたような、京都の食事の在り方は、これなのだろうな、と感じた。

コースは設定されていないので、好きなものを好きなように頂けることが、心底嬉しい。

食べ手の自由があることは、わがままが許されていて、
それを受けと止めてくれる懐と気概が、お店にも、
そして、東京・新橋の名店「京味」での経験を持つご主人・上田健登さんにもある、という事だ。

細い路地を抜けたところに、お店はあった。

(しばらく探してウロウロしてしまいました)

こういった面持ちのアプローチは、やはり、気分が高揚する。

15席のカウンター。
端のお席は、小上がりになっていて、

「お子さんが一緒でも寛げるように..」という心遣い。

中央に設られたレンガの火元に置かれた、土鍋や銅製のポットが目を惹いて、凛としたカウンター以上の、心躍る感がある。

40種程度もあるお品書きから、まさに、その日のその瞬間の心持ちで、お料理を選んでみた。

その上で、お店から供される、例えば、蕗のとうのお豆腐、白魚の真薯といった、お皿。
そこに、上田さんの表現される、滋味深い味わいを何度も確認させていただいた。

そして、シグニチャーともいえる、ぐじ松笠焼の香ばしさ。
淡く、綺麗で丁寧な味の加減には、押し付けがましさは全くなく、お若い上田シェフでありながら、ある種の熟練された感覚さえも覚えてしまう。

蕗の薹豆腐白味噌餡。こういうお品こそ、京を最も感じさせてくれる。食感も、味わいも、深く優しい。
白魚の真薯のお椀。
この店のシグニチャーを標榜するぐじ(甘鯛)の松笠焼。
皮目のパリパリ音が弾ける香ばしさ、丁寧に保たれた身の水分量が、その1匹の魚が持つ個性を引き出す。
お造りは、人数分をお任せして、それぞれの枚数も聞いてくれるという、心遣いが嬉しい。この日は、鮪、平貝、鯛の三種。

その上で、この夜、私を完全に虜にした、二品。

筍も鎮座する、熊ロース肉と花山椒の小鍋。

グツグツ出汁もほとばしる、という様相で、土鍋の中で熱く煮える熊の小鍋料理。
カウンターに登場したのちも、しばらく、美味しさのエネルギーを発散し続ける。

この、熊肉の柔らかく、脂のサラリと溶けること…。
出汁の旨みの深さ。
花山椒も、迫力の筍も、熊の印象にすっかり圧倒されていました。

この素晴らしい鍋をいただいた暁には、お品書きにあった、もう一つの小鍋、すっぽん。
こちらも非常に気になってきました。。。

そして、感激の二品目は、

からすみ味噌漬天ぷら

唐墨を天ぷらに…。反則技ともいえる、旨さの桃源郷。

ああ…、これはもう、特別純米の田酒と相まって、同席の友人と共に、何度も唸るしかない美味しさ。
あと数皿でも、数時間でも、これをいただいていたい…そんな想いに駆られてしまいました。

ご提案いただく日本酒は、どれも、すこぶる美酒。
かなりたっぷりお注ぎいただいていると思います。

「つろく」では、誰をも受け入れてくれる、優しい空気がある。

会話も自ずと弾み、お料理も、お酒も、初めての訪問なのに、自分らしく、頂ける。

その様な店は、実は、数多くない。

余韻の長く残る、再訪を心に決める、そんなお店です。

つろく
075-275-3926
京都市中京区松屋町51
月ー土曜 5pm〜
日曜 休み

www.instagram.com/tsuroku_kyoto/

「つろく」さんの動画、京都のお店、海外日本人シェフの活躍など、ぜひ、インスタでご覧ください

リンク: www.instagram.com/the.japan.set_naoko 

丹 (たん)- 京都でいただく清涼な朝食

高台寺和久傳が手がける、珠玉の朝の時間に、心も身体も洗われる。

京都、三条の白川沿いにある「丹(たん)」で朝食をいただきました。

前夜、思う存分、京都の美食を尽くしても、朝には身体は軽く、そして、健康的な空腹感がある。
これこそが、頭であれこれ考えるよりも、一番わかりやすい、日本料理の良さかもしれない。

中心地街から少し行き、白川橋を渡ってすぐ。
気構えることのない空気を湛えながらも、凛とした印象を感じさせる「丹」。


それは、高台寺和久傳が手がける、お店だと聞くと、納得が行く。
内装は、数寄屋建築を代表する中村外二工務店が手掛け、店名の書は四代目市川猿之助氏だそうだ。
素材へのこだわりと、食べ手への心遣いは、和久傳と同じ想いを共有する。

朝ご飯は8時と9時の2部制で、時間に着くと、店へ入る前から、白川の清涼な水の音と、柳の青に心が洗われる。


大きなテーブルのひと席をいただいた。

熱いお茶をいただけば、朝食のお皿が、順に供される。
胡麻の風味が舞うかのような、白和え。
歯ごたえのしっかり残された、きちんと噛むことで、味わいが立ち上がる野菜。
滋味深いもろみ。
料亭の趣きを感じさせる鱒。
淡い風味の香の物。
美しい井出立ちの生卵。

どれもが控えめで、モダンな軽さをたたえた美味しさがある。

しかし、圧倒的に打ちのめされたのは、炊き立ての白ごはんだった。

丁度、食事の途中で炊き上がり、土鍋の蓋をあけて、その蒸気が立ち昇る様を間近に見る。
この時「あ、そうか。だから開始の時間が決まっていたのだ」と、気づかされた。

お茶碗に盛られた艶々のご飯は、口当たりはさらりとしていて、まるで陶磁器のような滑らかさがある。
ネバネバとした感触は一切ないのに、口に含み、噛み締めると、甘く、濃醇で、ふくよかな芳香が、口いっぱいに広がる。
綺麗な美味しさの余韻が、じんわりと、続いていく。
お茶碗に、スクっと収まっているので、箸で最後の一粒まで、苦心なく摘めてしまう。

米は、京丹後・久美浜市野々の自家畑の米だという。
無農薬・無化学肥料で栽培され、「土作りから始まり、苗作り、田植え、人力除草、草刈、稲刈り、脱穀に籾摺り・乾燥、検査そして精米。まで一貫して自社のスタッフが行っています」と説明にある。

こだわりは、文字のためだけではなく、きちんと味わいに結びついていて、本当の美味しさとして、昇華してあった。

この、ご飯のためだけに、また、訪れたいとも思う。

上質の朝の時間は、食後まで、しっかりと引き継がれていく。
2階の席で、ゆっくりとセルフサービスで食後のコーヒーが頂ける。
階段を上がる途中から、この上に、更にすこぶる何かがあると、期待させられて止まない。
そして、その期待を超えるかのような、光景が、目に飛び込んでくる。

川のせせらぎを、開け放たれた一枚絵画のような窓から眺め、爽やかな一日を始められることに、単純に感謝したくなる。

京都の朝ご飯、珠のような場所。

丹 tan
TEL. 075-533-7744
京都市東山区五軒町106-13三条通り白川橋下ル東側 MAP
朝食 8時~・ 9時~[2部制]

昼食 12時~15時

夕食 17時~21時

http://tan.kyoto.jp
www.wakuden.jp/ryotei/tan

背トロ

Endo at The Rotunda  ロンドン | 2022年2月

鮨職人 遠藤和年

鮪漁師 田中一

ロンドンきっての鮨レストラン Endoの鮨職人、遠藤和年さんには、いつも驚かされる。

少しの間を置いて、お店を訪ねると、いつも、新たな驚きがあるからだ。

常に進化を続けること、それが、食べ手に伝わるレベルでの進化を遂げることは、本当に難しいし、孤独な戦いだと思う。

先日の食事で私が最も感激したのは、彼が握ってくれた、背トロだった。
背トロは、通常のトロが取れる腹の部分ではなく、背ビレの下にあたる部分の身で、程よい脂、赤身の部位でもある。

初め、何も告げずに、差し出された中トロ。
口に含むと、最初は、冬の濃厚な脂が口内を独占した後、「これは何!?」という風味がじんわり立ち昇ってきた。

最初、この味わいをしばらく言葉にできなかった。

複雑で、いくつもの層と深みがあり、強さもあり、その上で、ただ単にきれいなだけじゃない、”何か” があった。
美味しい、旨味たっぷり、そういう ”美味” では、ないのだ。
なにかもっと、実体のある現実、の味がした。

「これ、背トロといって、背の部分なんですよ。今日、是非食べていただきたくて、取っておきました」

遠藤さんが言う。

次の握りやお料理へと食事は進んで行くが、それでも、まだ、私の中で、この何か、の味が、何であるか、どうしても言葉にしたくて、考え込んでいた。
そして、ようやくして、これだ、という言葉に辿り着いた。

「生命 – いのち、の味」

そう、大自然を生きたもの、野生のものだけが持ちえる味。

そう気づいた瞬間、突如として、目の前に、大海を豪快に泳ぐ、この雄大な生命の姿が脳裏に浮かんだ気がした。

まるで、この巨大な生命が泳ぐ、海洋の深く、冷たい水の温度が感じられるかのようだった。

水の塊を、滑らかな肌身が、身体全体で重い水をシャープに切って行くような、そんな感覚ですら湧き上がる。

そうして育った生命が生んだ、稀有な風味が、今一度、遠藤さんのカウンターでその夜、蘇った。

この鮪を揚げたのは、田中一さん。ポルトガル在住の鮪漁の漁師さんだ。
全身全霊を、鮪に捧げ、鮪漁に取り組まれている。

Endoでの食事から数日経ったある日、彼に、背トロについて伺いたい、とメッセージ送り、その返信を見て、愕然とした。


そこには、こう、書かれてあった。

「背は、腹に比べ脂が少ないです。

その分、魚が持っている特徴が大きく表れます。

逆に言えば、脂は特徴が出にくい部位です。

魚の特徴とは、今までどの様に生きてきたかです。

言ってみれば、マグロの生き方が表れるのが背です。

マグロの住んでいる、海の香り。

マグロが食べている、食べ物の香り。

マグロの泳いだ距離、筋肉の締まり。

コレらが、脂が少ない部分に表れます。

脂が少ない分、人間がより繊細にそれを感じ取るのだと思います。

全神経を使って、それを味わうのだと思います」

この夜のような、味わいをくださった、遠藤さんと田中さん、Endoに関わる全ての皆さんに感謝したい。

***

Endo at The Rotundaの写真やビデオを、ぜひ、インスタグラムでもご覧ください。

遠藤シェフ、チームの皆さんの、熱い想いと挑戦の物語、投稿させていただいております。

the.japan.set_naoko

Endo at The Rotunda

www.endoatrotunda.com

田中一さん

tanakahajime.net

www.instagram.com/tanakahajime.bftlabo

  • 下の写真は、スペイン産養殖鮪。ヨーロッパではこちらも最上級とされている。それぞれの鮪の味わいを見極めて、遠藤さんは、それらを極上の握りに仕立てる。

Restaurant Kei  小林圭シェフ 「極限の一点」

フランス料理・パリ

すざましいまでの繊細さ、極限の一点を追い求める、料理。
胸をえぐられるように、感情の昂る、皿の上の激動、静けさ。

夏が終わり、フランスの国境も解放されて、私がパリへ行くと決めた時、彼の店だけが、まず、頭にあった。

Restaurant Kei   レストラン ケイ

パンデミックに突入する直前、2020年フランス・パリで、日本人で初めて三つ星を獲得したフレンチ・ガストロノミーレストラン。
率いるのは、小林圭シェフ。

フランスにおける三つ星の基準が、世界のどの都市より格段に厳しい事は誰もが承知の通りであり、初のアジア人として彼が成し得た偉業は、フランスにとっても大きな衝撃であった。

日本人では未だかつて、誰もたどり着いたことのなかった境地。2011年3月3日のオープン以来、ここまでへの道は、誰がどのように想像しようとも、決して彼以外の者には、知り得ることのないものだろう。

しかし、小林シェフにとって、三つ星は、あるいは、星というものは、最終目的でも何でもなく、逆に、今ここでようやく、スタート地点に立てたのだと言う。

そして、お話を伺いながら、その言葉が真実なのだと、肌身で実感した。

小林シェフからほとばしり出るエネルギー、迷うことなく見据えてくる鋭い眼光。それは、今から星を狙うかのような若手が持つ、もっと先へ、もっと上へ、という勢いと同類の物だ。


自分でももてあそぶ程に身体の内部から、どのようにしても溢れ出してくる抑えることのできない熱が、ある種のもどかしさが、向かい側に座られている、ほんの数十センチ先から、痛いぐらいにこちらに突き刺さってくる。

いくつかの質問をすればする程、研ぎ澄まされたエッジの鋭さが、ギラギラと輝いて、それでいて、静謐な湖のような、深い水の塊が音もなくそこにあるかのような、そんな、風景をも向こう側に見させてくれる。

「キッチンのスタッフには、厳しいと思われていると思いますよ。失敗することは、死を意味することと同じだ、って、彼らに言うからです」

その言葉を聞いて、私が少し冗談交じりに笑い返した時、小林シェフは、それまで以上に、笑みのかけらもない顔をして、真っ直ぐな目でこちらを見た。

比喩でもなんでもなく、彼にとっては、自分の失敗が本当の死を意味しているのだと、その時気づいた。

・・

初対面の、最初の10分で、この言葉が当たり前のように彼の口から出た。

・・

・・

シェフに会う数日前に、私はレストランへ訪れて食事をしていた。

ドアを抜ければすぐ、温かい掌に包まれるようなスタッフの歓迎を受け、心地良さだけを感じながら、テーブル席へ着く。

ソムリエの北山重次さんが、独自の個性でワインの流れをつくってくれる。
率直な物言いで、一見、距離があるようでいて、実はとても情に厚い方。ランチを食べ終えた時、彼のおかげで、すこぶる極上の時間を過ごすことができたのだと、心から感じた。

彼も同じく、ご自分の全人生をかけてこの店に立たれていることが窺える。一つ星の時から、ずっと、小林シェフと伴走されてきた。

ワインのペアリングをお願いし、ふと、小林シェフの料理にワインを合わせるという、ある種、恐ろしい作業をどのようにしてされるのか、非常に興味が湧いてきた。

「これほど難しいことはありませんよ」

その言葉には、真の重みがある。
完璧に完璧を求めて、それを突き詰めた料理の一体どの部分に、ワインの味わいを添えていくのか。。。

なぜなら、小林シェフの料理は、極限まで追い求めた繊細な一点を頂点とする、調和の集合体だからだ。

アミューズで出された”cucumber and miso” に、まず、衝撃を受けた。
酢でマリネされた胡瓜は、どこか日本のお漬物をも彷彿させる仕立てながら、しかし、これ程までに突き詰められた酢漬けはおろか、酢のマリネには、これまで一度たりとも出会ったことはない。仮に、このような素材の組み合わせの一品を、どこかのレストランで見かけた事があったとしても、小林シェフのこのほんの小さな胡瓜は、全く別の次元に存在していた。
透き通るかのような繊細さ、軽やかで華やかな美しさ。まるで、私の口の中の酸度まで見抜かれて調合されたかのような、一糸の乱れもない、鮮烈なバランスだった。いかにして、お酢の胡瓜というひと品がこのような境地にまで達する事ができるのか…。衝撃に、序盤から打ちのめされる。

続く皿々は、正円を描くかのように、流れて行った。

Palamos海老にShrenkiキャビアを合わせた一品。紫蘇、グラニースミス林檎、アールグレーの風味が奏でる、どこにも尖ったものがない、完全なる調和のその中で、唯一、紫蘇がほんの少し主張している。その香りは、人間のある部分を覚醒させるかのよう…。

シグニチャーでもあるレモンの泡を纏った野菜の庭園は、ひとスプーン毎に風味が違っており、その一口であっても、秒差で力強い風味が代わる代わる立ち昇る。

熱をどこまで入れるか、ということが、巧みに計算され、実行された非常に印象的なスズキ。

スコットランドのオマール海老については、さらにこの、熱の絶妙な判断に加えて、トロリとした食感と、香りを浮き上がらせる身の質感までをも保持し、甲殻類という生物の表現の、一つの完成形かと納得させられる逸品。

シェフ自ら何度も牧場へ訪ねていると聞く、100日熟成のスペインGaliceの牛の旨味と香りは、あまりにも突出していて、肉の個性に打ちのめされるかのよう。

和牛の選択もでき、鹿児島のA4を、脂だけではなく肉の旨味も同時に味わう趣向にされている。

そして、デセール。柑橘のスムージーと綿菓子の一皿。これぞフランス、と高らかに声にしたくなる、味わいのレイヤーと調和と溌剌とした軽やかさが、食事の流れの中で、見事に結晶していく。まさに、朝日が水平線から立ち昇るような、あるいは、強い風が木の葉を拐っていく時のような、味わいの移り変わりが、私には、途方もない喜びと感じた。

シェフがこれまで問い続けてきた想いと、そこへ至るまでの長い道のり、戦い、葛藤、迷い、喜び、感動、荒々しさ、美しさ、愛…..それぞれが、集約されて、そこにあった。

それらを口に入れ、

そして、心で味わう。

・・・・・・・

Keiで出会う素材は、どんな小さな要素をとっても、すべてがこの地球上の特別な生命であるという、”大切なもの” と感じさせてくれ、その価値が見えてくる。


素材が生息していたこの地球上の、どこかの土地や海にある、

風、

大気、

土、

光線、

水、

海水、

微生物、

温度、

流れていくもの、

湧き上がるもの、

それを素材が自分の中に取り込んで、ある日、漁師さんや、農家さんがつみ取った後、キッチンに運ばれ、お皿の上に美しく盛られた中から、その素材が過ごしてきた日々、年月の中で宿った生命の、その核の名残を味わう。

そのような、一つ一つの、個性の違う素材を数種も、時には数十種も組み合わせる時、気の遠くなるような綿密なつくりが要求される。
小林シェフが紡ぎ出す料理には、0.001ミリものずれも許されない、許していない、いくつもの素材や調味料が複雑に組み合わさっているのに、それぞれに全て意味があり、全てが完璧に調和している。

完全なるシンフォニーの音楽が、最も美しい状態で奏でられた時の、限りない、繊細で、危うくて、ギリギリの極限に挑戦して、あまりにも細い糸のような綱渡りを踏み外す事なく渡り切っている、そのような、料理だった。

それでも、緊張感に苛まれることはない。どこまでも透き通った、霧の中に差しこむ、柔らかい朝光のような、そんな料理。

語り口は穏やかだけれど、熱のオーラが身体全体から発されていて、激しい炎が内側に燃えていることが振動のように伝わってくる、そんなシェフの中から、このような静と柔を備えた料理が生まれてくることに、驚きを持った。

私が訪れた11月末の午後、小林シェフは、カタールへ行かれ、前日戻られたばかりだった。現地で一緒だったのは、フランスと世界を代表する、それこそ、世界に名前の轟く大御所中の大御所シェフ10名と一緒だったという。その中で数日間を過ごされて、小林シェフは、ご自身の進むべき道を再認識して戻ってこられた。

そして、今一度、一番大切にしたいのは、お店に訪れてくれる、一人一人のお客なのだと強く語る。三つ星シェフという肩書ができ、贅沢で特別な待遇を受けようとも、決して、その事は揺らがない、と話す。大きなオファーは、数知れずある。しかし、彼は、店に来てくれる一人一人のお客と向き合うことに、徹底的に、こだわっている。

小林シェフにとって、最も大切なのは、ここに今座ってくれている、それぞれのお客であり、そして、その個々の人が、彼の料理を食べ、Keiで過ごす時間によって、人生が変わってしまう程の、喜びを、何かを、与える事がしたいのだ、と話す。

1時間半にわたるインタビューの中で、幾度となく、”心” という言葉がシェフの口から出た。

”心を満たす時間を作りたい ”

小林圭シェフの料理は、時に、自らの心を写す鏡のようなものかもしれない。

果たして、彼が人生をかけて投げかけて来るものを、自分はキャッチできているか、呼応できているか、感じ取れているか、それらが透けて見えてしまう。

"お客との戦い”と、インタビューの最初に語った言葉の意味は、もしかしたら、お互いのこれまでの人生に繰り広げられてきた、喜びや悲しみ、を、どうやって自分たちは感じ取ってきたのかを、このお皿の上で確かめ合うという、一つの核融合のような反応の時間なのかと思えた。

それが見事に光を散らした時、体験したことのないような、爆発的な感動が、白い陶器の上に立ち現れる。

そんなことを考えていた時、食事を終えた11歳の子供が、近づいてきて、とても美味しかった、一緒に写真を撮って欲しいと言った。
優しい口調で、丁寧に会話を交わすシェフ。
小林シェフにも、8歳の息子さんがいる。
温かい対応に、私も、自分の息子を三つ星に連れて行った時、子供に対してのサービスが整っていたことを話して、そういうお店もいいですよね、と伝えた。
すると、シェフは、

「私の料理は子供には分からないですよ。それを求めてもいませんし」

と、私のいい加減な「子供にも優しいレストランとお料理」、というコメントは、躊躇なく一蹴された。
そして、それは、当然だし、それを意識する必要など、どこにあるというのだろう。

「まだ、感性が子供には育ちきっていないので、私が表現しているものが伝わるには、もう少し、年齢を重ねる必要があると思うのです」

そう話すシェフであるが、話しかけた子供が、きっと、大人になってからも思い出すだろう、素晴らしい時間をこの日過ごしたという事実は、11歳という嘘のない表情からも想像に難くない。

心に訴える時間をつくる、という小林シェフの想いは、子供には分からないと自称されても、しかし皿の上を飛び越えて、すでに子供の内側へも届けられていたと思う。

あるいは、彼という人間そのものが、このレストランには宿っていて、老若男女、そこに否応なしに惹きつけられる人々が、何かを求めて、また、再訪するのかもしれない。

突き詰めると、レストランという価値は、

シェフという人間に、何かが、或るか、無いか。

もしかすると、ただ、それだけかもしれない。

そして、小林圭という人物には、その何かが宿る。

Written by Naoko Shimizu Jeffries  

ジェフリーズ清水直子

Restaurant Kei  (レストラン ケイ)

www.restaurant-kei.fr

5 Rue Coq Héron, 75001 Paris

新たなる ENDO を読み解く

Endo at the Rotunda

LONDON

Sushi Chef・KAZUTOSHI ENDO | 鮨職人・遠藤和年さん

序章】

2020年12月

イギリスに新たな厳しいロックダウン規制が導入された後も、まだ、真っ新な、新年への希望は、決して消えてはいない。

年が明け、新しい Endoを訪れることにができるようになった時、ぜひ、知っておいていただきたいことがいくつかある。
知っていただければ、Endoでのかけがえのない食事の時間が、より深い意味を持ち、大切な思い出となるだろうと、信じているから。

9ヶ月間、店を離れている間、遠藤さんは多くの困難を乗り越えてこられた。
最も厳しいものだったこの時、「コロナとの戦いと挑戦と」は、別のページ にも書かせていただいたので、もし、時間のある方は、ぜひ、こちらも読んでいただけると嬉しい。

この戦いの末に、そして、その記事を書いた直後にも、遠藤さんには窮地に立たされる危機が訪れており、先週の、ソフトオープニングの日というのは、まさに、瀕死の状態からの復活なのだった。

「心が折れる、と言いますが、私はこの時、本当に、折れてしまっていました。折れた枝が、薄皮、繊維一枚だけで、つながっているような感覚でした。もう、日本へ帰ろうと、本気で考えていたのです」

ソフトオープンの夜に、こうして、心の内を話してくださった時、遠藤さんの目尻にはうっすらと、涙が滲んでいた。

この頃の遠藤さんのお気持ちや、葛藤は、また、別の形できちんと残したいと思っている。

この記事では、それを超えた後の、今。
新しい章が始まったEndoで、どんな寿司が、料理が楽しめるかを、ぜひ、書かせていただきたい。

***

【 第1章  舎利 】

遠藤さんの挨拶と同じく、私も、あえて、この記事では詳細は書かないでおこうと思うが、9ヶ月間の閉店の最中「完全に自分はあの時、折れていた」と吐露された。

その後の新たな門出にあたって、遠藤さんが、一番、大きな物語として掲げているのが、シャリだ。

そもそも、このシャリから、新しい店への活力が生まれ、困難を乗り越えた後の再開へと結びつき、今日の日のような、不死鳥のような羽ばたきをみせたのだと思う。

何が違うのか。

なぜ、シャリなのか。

それは、引越しの際に、偶然、見つけた一つの箱だったと言う。
その箱の存在すら忘れていたそうだ。
開けてみると、中から、亡くなられた父上が所持していた書籍が出てきた。

初版は明治とある、古い江戸前鮨の書物。
遠藤さんの祖父と同時期の古い寿司について、細かく書かれたものだ。
お父様の書き込みが多く記されていた。
すぐさま、母親へ電話をし、話を聞いた。

何かの思し召しではないかと感じずにはいられなかった。
江戸時代の寿司シャリ。
その、レシピを見て、驚いた。
米の炊き方から、酢に至るまで、あらゆる事が違っている。
しかし、そこには科学的な根拠と合理性が備わっていた。

遠藤さんの祖父が、この時代のシャリを使って、鮨を握っていたことも、母親から聞いた。

“ これを、今のロンドンで出してみたい。
大切なお客さんを、江戸時代の日本へとお連れしたい。
過去、現在、未来。
点と点を、線でつなぎたい “

コロナ下での辛い気持ちが、走馬燈のように流れた。

今年一年を過ごして、
私たちの誰もが、
人間はどこから来て、どこへ行くのか、
そんなことを考えずにはいられなかったと思う。

新しいシャリは、砂糖を全く使用していない。
酢は、2ヶ月間熟成の酒粕酢を日本から取り寄せて使っている。
だからだろうか、砂糖がなくとも、全く角がなく、米が生み出す甘味だけで充分な塩梅となっている。

シャリ櫃を見て、少し驚いた。
初めて見る、小ぶりサイズのもの。
400gの米を、3回に分けて炊くという。
そして、その都度、それぞれの、使用する米の配合も変えている。

シャリだけを見せていただいた。
「以前より、もっと赤いでしょ」と、遠藤さんは微笑む。

遠藤さんのシャリは、ネタによって、全て温度が変えられていて、時に、非常に温かい。
例えば、この日のエビは人肌36度、シャリは30度程度、だそうだ。

そして、新しいコースでは、以前よりも、さらに、
手のひらで握りを受けとる数が増えている。

このシャリを、手のひらでいただく時、私たちは、どのような気持ちになるだろうか。

温かい鮨飯の温度が、直に伝わってくる感覚。
指でつまむよりも、さらに、繊細に握られた鮨。

20品以上のコースを全て終えた後に、シャリの記憶が、驚くほど淡いことに気づく。
つまり、シャリの主張や押しつけなどが、まったく記憶として残っていない。
まさに、鮨シャリとしての、真骨頂なのではないだろうか。

「今のロンドンの気温って、江戸時代の日本の気温と、非常に近いんですよ」

思いがけない偶然を、心から喜ぶ遠藤さんの、
内側で暖かく発光するような小さな灯りが、実際に見えた気がした。

この、江戸時代のシャリで握る、彼の一刀入魂の握りを、次の章でご紹介したい。

***

 【 第2章  握り 】

「シャリが変わったので、ネタの仕込みも、すべて変えました。以前と全く違います」

店のスタッフは、最初にこれを告げられた時、「そこまでやるのですか?!」と、あまりの変化にかなり戸惑ったと言う。

ロックダウン中の夏頃、遠藤さんはすでに

「次に店を再開する時は、今まで同じようには開けないつもりです」

と話していた。

その頃は、普通に店を開けて、通常営業に戻ることだけでも、大変で精一杯だった時期だ。
今まで以上を目指すなど、考える気力すらないのが、誰にとっても当たり前だったと思う。
ただ、遠藤さんの中には、そういう考えは毛頭なかった。
待っていてくださり、食べに戻ってきてくれるお客さまに、なにか心に響くものを与えたい。自らがロックダウンで感じた、人と人とのつながりの意味を、より深く、密にしたい。
それもあって、これまで10席だった店は、8席に減らすことにした。一人一人と、しっかり向き合いたい、という思いからだ。
店に行かれたことのある方、あるいは、写真で店内を見たことのある方は分かってもらえると思うが、ロンドンであのような広さ、細部にまで拘ったしつらい、一流のスタッフの数、の店としては、あり得ない席数だ。

「どこかで食べたことがある、というのでは、ダメだと思うんです」

そう遠藤さんが言い、次々と繰り出された鮨、握りは、まさに、有言実行で、一貫一貫に、凄みと猛烈な力、インパクトが漲っていた。

この日、全コース20品のうち、鮨は12貫。
そのうちの、いくつかをご紹介する。



トロ
この日は、スペイン・バレアス海、北大西洋ではなく地中海からのもので、カマの横の部位、大トロと中トロを出された。
熟成は8日間。全ての握りにおいて、しっかりと熟成はかけているものの、ただ、「やり過ぎない」とおっしゃる。熟成もやり過ぎてしまうと、脂がサラダオイルのようになってしまい、香りも損なわれてしまう、からだそうだ。

帆立
私がこの夜、最も衝撃を受けたネタは、帆立だ。遠藤さんは「この魚を買う、ではなく、この人から買う」を信条とする。この帆立を採ってこられるダイバーさんは、他の誰よりも、深く潜って採るのだそうだ。「ホタテがサバイブして(生き延びて)いるんですよ」と遠藤さんは言う。清涼な瑞々しさが炸裂する、あまりにも綺麗な帆立。海の美しい、清い部分だけを濃縮したような、真珠色に輝く帆立。そこに、2年がかりでやっと完成したという、塩分ゼロという昆布締めの英国産キャビアを合わせる。


同じく、サバの味わいの清さ、美しさにも感激した。そして、やはり、同じ海、エリアから獲られるのに、遠藤さんは、この人、という漁師さんから買う。その違いは、食べて、歴然とする。漁師の方の心意気と、ある種の優しさが、舌にビシビシ伝わってくる、この上なく美しい一貫だ。

牡蠣
遠藤さんが出されたこのネタには、江戸前仕事「漬け込み」が存分に施されている。煮蛤と同じ仕事を、牡蠣で仕立てあり、じんわりと、ゆっくりと、ふわりと、内に秘めるなんとも言えない、郷愁的な、一瞬にして自分の懐かしい過去の記憶に引き戻されたかと錯覚するような、そんな味わいが湧き上がってくる風味だ。


圧巻の一貫だ。これ程までに濃厚で力強いスズキをいただいたことは無い。熟成は4日間。旨味が限界に近づいている状態で、三枚付けいただく。ねっとりと口内を埋め尽くす旨みが強烈だ。

この他、山田錦の稲で薫香を付けた人気のサーモン。鰻は、今回は備長炭での炭火焼となっている。シグニチャーのトロのビジネスカードも健在だ。この他、コーンウォール産の昆布締めの烏賊、熟成キャビアを合わせたスコットランドのラングスティーン….、いずれもが特筆に値する。

今回、遠藤さんがフィロソフィーに掲げているのは、「一期一会」ではなく、「一座建立」だと話されていたが、この日、この瞬間限りの、出会いと味わいは、儚くも口からは消えるが、脳裏の記憶には鋭く、深く刻まれている。

***

【 第3 章  御料理  】

新しいEndoで、進化したのは、鮨だけではない。
もしかすると、その底上げが顕著だったのは、この御料理の品々だったのかもしれない。

日本料理の核である、出汁は、目の前で鰹節を削り、お椀が出るタイミングに合わせて引かれる。
温かい、引き立ての一番出汁の、立ち昇る香りと滋味を味わうと、穏やかな気持ちになる。

「最初に、心と身体を清めるような気持ちで、お出ししています」

この日の椀の具は季節もたけなわの蟹真薯であった。

さらに、変化に気づかずにはいられないのが、天ぷらの数々だ。
日本から届いた松茸。英国南部デボン産ロブスター。アンコウにはべっ甲あんが敷かれ、各々は、別々のタイミングで、天ぷらに仕立てられて登場する。
以前よりも軽い衣ゆえか、中の素材が大いに風味を発揮できる環境に整ってある。それぞれに合わせられる”ソース”にも遠藤さんの細部へのこだわりが感じられる。

印象に強く残ったのは、ブリのしゃぶしゃぶだ。吉野葛を絡めてから湯に潜らせることで、もっちりとした食感となり、旨味が密に閉じ込められている。
火を入れるには忍びないほどの、最上級のブリの濃厚さに負けない、しっかりとしたつゆも、丁寧な仕事を感じさせる。

焼き物は、鶉のくわ焼き。そして、トロの握りを何貫かいただいた後の、大トロの”炙り”と名付けられた、ステーキに匹敵するかの如く力強い焼き物。さらには、宮崎和牛肉を軽く火入れした一品。この和牛は、あまりにさりげなくコースの終盤に出されるが、この皿だけで、一つの投稿が書けるほどで、どこまでも、決して、力を抜かない遠藤さんのエネルギーが、この料理で炸裂するかのようだ。そして、これに、添えられるのが、塩釜で調理された、なまやさいさんが育てる、英国産の聖護院カブラとビーツ。わざわざ、これを調理するためだけに、釜を特注したという。

これらの料理は、料理はそれぞれ、握りの合間合間に挟み込まれて登場する。
鍛え抜かれた剛速の直球から、変化球までが、巧みに投げられる。

この一連の流れの中で食事をさせていただくと、明らかに、通常の鮨カウンターとは、全く異なる展開であることを、身体全体で実感する。
そして、これこそが、Endoを、この場所でしか体験し得ない、唯一無二ものとして屹立させているのだ、と気づかされる。
以前より、カウンターに座るお客様は、英国外から訪れている方が半分を占めていた、と言う。


一球闘魂の鮨の迫力に圧倒されて、しばし、放心している間に、このスーパースター級のお料理の数々がめくるめく登場する様を想像してほしい。。。

脳と、舌と、心の格闘技とも思えるかの如く、遠藤さんとの真剣勝負には、覚悟を持って、ぜひ、挑んでいただきたい。

***

【 最終章  結界  】

Endoを堪能するのは、ただ、そこに座って、遠藤さんに身を委ねるだけで、十分だ。

それでもやはり、少しだけでも彼の想いを知っていると、その貴重な時間が濃厚になると思い、この再開後のEndoシリーズを書かせていただいた。

この中で、一番、伝えておきたかったのが、この、結界だ。

(日本の方には馴染みのある言葉だと思うのですが、英語バージョンもあるため、海外の方にも分かりやすいよう、言葉の説明も書きたいと思います)

結界とは、元は仏教用語で、日常の中で、よく耳にするのは茶道の時かもしれない。
結界は、もともと修行僧が、修行に励むために、聖職者のエリアと、その外を分けたことが起源と言われている。
つまり、内と外、聖なる域と俗なる域を分ける境界線のことであるが、お寺や神社でなくとも、日常にも、ある種の結界は見てとれる。
例えば、商店の暖簾や、食事のお箸も、結界の一種だと考える向きもある。

ただ、遠藤さんが、レストランを聖域と考えているのではなく、単に、日常の煩わしさやな悩みなどから、せめて、Endoで食事をするときだけは解き放たれて、しばしの楽しい口福な時間を味わってほしい。そう願う気持ちを込めて、最初のドリンクを「結界」という名で出されている。
「結界」を越えて中に入り、その場に身を委ねると、いい時間に出会える。
遠藤さんは、そのためには、自らは全力を尽くして参ります、という、ある意味、彼にとっての決意表明なのだろうとも思う。

新しいコースは、五つのチャプターに分かれており、最初は「再会」から始まる。

再会に際して、いただくこの飲み物が、ほうじ茶がベースになった、ちょっとした趣向のあるこのドリンク。
口に入れると、なんとも言えない面白い趣向があるが、ネタバレにならないよう、ここでは割愛する。

そして、全てのコースを終えた後に、バーに座って、デザートと共にいただくのが、三種のお茶をブレンドしたものだ。ここでもやはり、同じほうじ茶が一番配合が多くされてあり、始めと終わりが、一巡して、まあるく完結するのを、しみじみ感じ取れる。

新しいEndoで、まだまだ、特筆したいことは多々あるのだが、いくつかに絞って、記させていだく。

*

備長炭
今回から、和歌山から入手する、備長炭を使って調理をしている。日本の料理ジャンルで、”職人技”と呼ばれる、いくつかの技術があるが、この、炭を扱う技術も、確実にその一つである。扱いは非常に難しいが、それを使いこなした時に得られる、未だかつて出会ったことのない素材の真の価値を引き出す、とてつもない威力。この場で、その一片に触れていただきたい。

お酒
菊谷なつきさん (www.museumofsake.co.uk)( www.instagram.com/natsukipim ) がセレクションする日本酒が、さらにパワーアップしてる。日本でもなかなか手に入らないという銘柄を、Endoのために仕入れているそうだ。彼女の日本酒の目利きは一級で、彼女のアドバイスに従順に従えば、洗練された、格別の日本酒に辿り着ける。この日は新政のエクリュをいただいた。エレガントな芳香と舌あたり。華があり、躍動感のある味わい。まさに、Endoの新しい出発を祝うにふさわしいお酒だった。「そのお酒に物語があるかどうか」。なつきさんがお酒を選ぶときの基準となっている事柄だそうだ。 

BAR
海外では特に、日本料理や鮨の店と言えども、バーエリアを求められる。Endoのバーで、今、行われているのが、鮨に合わせたカクテルを出すこと..。これは、私にも、全く未知の世界で、今後、こちらのバーテンダー市川潤さんから、ご教授いただきたいと思っている。この前代未聞の取り組み。非常にワクワクさせられる。

スタッフ
遠藤さんのインパクトが強いEndoではあるが、その実力は、スタッフに大きくある。初めて遠藤さんをイベントでお見かけした時、隣に立つお弟子さんの動きに、私の目が釘付けになった。阿吽の呼吸を逃さない、シンクロした流れ。そのようなスタッフがいらっしゃることが、彼の大きさをあらわしてもいる。

「英国が本格的なロックダウンに突入した時、誰も辞めさせない、と決めました」

技術だけでなく、心のありようも素晴らしいスタッフの皆さん。お店では、ぜひ、このスタッフの皆さんの実力をも味わっていただきたい。

SUMI
すでにご存知で、食事、お弁当をテイクアウトされた方もいらっしゃると思うが、12月に遠藤さんが新しく出店した、カジュアルな店だ。お母様の名前からとった店名。店内の暖かい灯の中に足を踏み入れると、心休まるのは、そんなつながりがあるのかもしれない。鮨ヘッドシェフは、安田明徳さん。料理を担当するヘッドシェフにDavid Buryさん。遠藤さんの精神を大いに受け継がれている。小回りのきく、活気あるこの店が、これから、どんな面白い展開をされるのか、とにかく、目が離せない。

www.sushisumi.com

序章を含め、五つの章に渡って長く書かせていただき、また、ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
唯一無二のEndo at Rotundaの世界。
文章と映像で堪能していただけていれば、とても光栄です。

***

ブログに先立って掲載したインスタグラムの投稿へ、皆様からの様々な感想をいただき、大変励みになっています。
いただいた応援、嬉しいメッセージも、遠藤さんへ、きちんとお伝えしています。
ぜひ、皆さんのコメントを書き込んでくださいませ。

(インスタにはビデオも載せていますので、ぜひ、よろしければご覧ください)

今はただ、一刻も早く、感染が収束し、また、元のようにレストランで食事のできる日が戻ることを祈るばかりです。

そして、生産者の方々、サプライヤーの方々が、新しいブレグジット後の規制の下も、変わりない環境が続き、これまで同様の素晴らしい食材をご提供できる状況であることを、心より願っております。

お世話になった皆さまに心より感謝申し上げます。

ジェフリーズ直子

Naoko Jeffries

ROKETSU  Gozen Bento by Daisuke Hayashi     「露結」by  林大介 “京懐石の息吹”

【LATEST NEWS】 ROKETSU GOZEN BENTO by Chef Daisuke Hayashi.

京料理界を代表する、林大介シェフの新たなる懐石料理店「露結」の 御膳弁当。

(日本語記事は、英語版の後にあります)

“Absolutely Phenomenal ” is my heartfelt voice.

I clearly, confidently would like to say that the opening of Chef Daisuke Hayashi’s new restaurant ROKETSU (scheduled in Spring 2021) will be one of the most important and exciting events in Japanese cuisine for the coming year.

And this gorgeous Bento Box, limited numbers only each week, is a sneak peek of what it will be like.

Each “dish” of this Bento is absolutely phenomenal.

Chef Hayashi san is a genuine master of Kyoto cuisine, trained under Yoshihiro Murata of Kyoto Kikunoi, who holds seven Michelin stars and “The Don” of Kyoto Cuisine, for more than 10 years before moved to London in 2009.

There are not many chefs even in Japan, who are steeped in deep traditions, trained in the highest prestige and have mastered the art of cooking, Kyo Kaiseki.
Chef Hayashi’s classic Kaiseki technique is unparalleled, and the knowledge on Japan’s traditions and the cuisine is vast.

After Hayashi san moved to London, with his mentor Mr. Murata san’s strong desire to bring authentic Japanese cuisine to the world, he helped and worked for several new openings as the executive chef including Tokimeite in Mayfair.
At there, he and Murata san have explored Japanese dishes which would suit Western palates, but for this time, after waited for more than a decade, Hayashi san decided to open his own restaurant and he is determined to create authentic Kaiseki, just like the one served in Japan.

“ In making this Bento, I have simply followed the tradition and cooked it the way it was meant to be cooked.“

The chef says modestly that he just did normal thing, but as we all know, doing “normal” is the difficult thing.
And for me, someone who is living outside Japan and at least know the differences of the water hardness and the ingredients for example, to cook like in Japan seemed an impossible task…

This Gozen Bento took me straight to Kyoto.

It was surprising and inspiring.
Never before have I had such authentic and totally consistent Japanese food abroad.

Since I first arrived at London 1995, I have seen brutal reality of that it is extremely difficult to recreate real Japanese food outside Japan.
It is because, Japanese cuisine is hugely rely on its unique nature, so the further away you go from it, the more severe the condition becomes.

Master Murata told me that nearly 40 years ago, when he went to France to cook a Kaiseki dinner with other top Kaiseki chefs, he took all the water and ingredients with him from Japan.
He was devastated by the reality that he could not cook Japanese without bringing all of that.
Since then he has worked to make Japanese food using local ingredients, but I have been seeing that it is extremely challenging.

So, having this Bento in front of me, the taste of Japan, the taste of Kyoto, spread out in front of me and came back to life, and I wondered how it was possible to make such food.

It’s a Bento that seems to have magically appeared from somewhere else.

🍱 TO ORDER :

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露結 by 林大介 シェフ

来春に開店が予定されている「露結」。

海外における日本料理界、来る021年の、日本料理の一つの大きな転換点、となるであろう、

非常に重要な意味を持つ、新たなお店。


記事巻頭の写真は、こちらの御膳弁当です。

この度、「露結」を立ち上げ、牽引されるのは、林大介オーナー料理長。


京都・菊乃井本店の村田吉弘氏の元で、10年以上に渡り、確かな技術と伝統を身につけられ、2008年の北海道でのG8サミットの際には、この国際会議の料理を全て総指揮されました。

その後、2009年に渡英され、長きに渡り、ロンドン、欧州にて、日本食レストランの立ち上げ、料理長を務める傍ら、海外における日本料理の普及と啓蒙に尽力を尽くされてきました。

日本料理の伝統技術と深い知識、何よりも、日本料理の心を有する、数少ない、料理人さんです。

その林シェフが、満を辞して、ご自身のお店、ロンドンでは初のカウンター懐石料理店となる「露結」を、来年春ごろ、立ち上げられます。

この、御膳弁当は、その一端を、まさに垣間見れ、体験できる、貴重なお弁当と言えます。

長く、海外に住んでいらっしゃる方、海外でイベントをされたり、今、こちらで包丁を握っておられる料理人の方々は、きっと、深く頷いていただけると思うのですが、いかに、海外で日本料理を作ることが難しいか。。。

日本料理が、日本の自然と非常に親密に寄り添っているため、そこから遠ざかれば遠ざかるほどに、その、厳しさは増していきます。

私自身、1995年の初渡英より、これまでも、多少なりの現状を見てきましたが、心痛く思う現実に、何度も、打ちのめされることがありました。

それが、このお弁当を手にとり、今、驚きと、感動と、喜びに包まれています。

林さんは

「当たり前のことを、当たり前にやっただけ」

とおっしゃいますが、その、当たり前を遂行することが、どれほど難しいか。。。

こちらをいただいて、目の前に、口の中に、あの、日本の、京都の味わいが広がり、蘇り、全くもって、どうして、このような御弁当ができるのか、まるで魔法のような、別の世界からふと現れたような、奇跡、とでも呼びたい御弁当なのです。

この、普通でない2020年、最後の月に、突如、舞い降りた、希望とでも呼びたいような、一つのお箱。

この後、いくつかの投稿で、こちらのお料理の内容を書かせていただきたいと思っております。

🍱 この御膳のご注文はこちらより。

www.jgourmet.co.uk/exclusive