背トロ

Endo at The Rotunda  ロンドン | 2022年2月

鮨職人 遠藤和年

鮪漁師 田中一

ロンドンきっての鮨レストラン Endoの鮨職人、遠藤和年さんには、いつも驚かされる。

少しの間を置いて、お店を訪ねると、いつも、新たな驚きがあるからだ。

常に進化を続けること、それが、食べ手に伝わるレベルでの進化を遂げることは、本当に難しいし、孤独な戦いだと思う。

先日の食事で私が最も感激したのは、彼が握ってくれた、背トロだった。
背トロは、通常のトロが取れる腹の部分ではなく、背ビレの下にあたる部分の身で、程よい脂、赤身の部位でもある。

初め、何も告げずに、差し出された中トロ。
口に含むと、最初は、冬の濃厚な脂が口内を独占した後、「これは何!?」という風味がじんわり立ち昇ってきた。

最初、この味わいをしばらく言葉にできなかった。

複雑で、いくつもの層と深みがあり、強さもあり、その上で、ただ単にきれいなだけじゃない、”何か” があった。
美味しい、旨味たっぷり、そういう ”美味” では、ないのだ。
なにかもっと、実体のある現実、の味がした。

「これ、背トロといって、背の部分なんですよ。今日、是非食べていただきたくて、取っておきました」

遠藤さんが言う。

次の握りやお料理へと食事は進んで行くが、それでも、まだ、私の中で、この何か、の味が、何であるか、どうしても言葉にしたくて、考え込んでいた。
そして、ようやくして、これだ、という言葉に辿り着いた。

「生命 – いのち、の味」

そう、大自然を生きたもの、野生のものだけが持ちえる味。

そう気づいた瞬間、突如として、目の前に、大海を豪快に泳ぐ、この雄大な生命の姿が脳裏に浮かんだ気がした。

まるで、この巨大な生命が泳ぐ、海洋の深く、冷たい水の温度が感じられるかのようだった。

水の塊を、滑らかな肌身が、身体全体で重い水をシャープに切って行くような、そんな感覚ですら湧き上がる。

そうして育った生命が生んだ、稀有な風味が、今一度、遠藤さんのカウンターでその夜、蘇った。

この鮪を揚げたのは、田中一さん。ポルトガル在住の鮪漁の漁師さんだ。
全身全霊を、鮪に捧げ、鮪漁に取り組まれている。

Endoでの食事から数日経ったある日、彼に、背トロについて伺いたい、とメッセージ送り、その返信を見て、愕然とした。


そこには、こう、書かれてあった。

「背は、腹に比べ脂が少ないです。

その分、魚が持っている特徴が大きく表れます。

逆に言えば、脂は特徴が出にくい部位です。

魚の特徴とは、今までどの様に生きてきたかです。

言ってみれば、マグロの生き方が表れるのが背です。

マグロの住んでいる、海の香り。

マグロが食べている、食べ物の香り。

マグロの泳いだ距離、筋肉の締まり。

コレらが、脂が少ない部分に表れます。

脂が少ない分、人間がより繊細にそれを感じ取るのだと思います。

全神経を使って、それを味わうのだと思います」

この夜のような、味わいをくださった、遠藤さんと田中さん、Endoに関わる全ての皆さんに感謝したい。

***

Endo at The Rotundaの写真やビデオを、ぜひ、インスタグラムでもご覧ください。

遠藤シェフ、チームの皆さんの、熱い想いと挑戦の物語、投稿させていただいております。

the.japan.set_naoko

Endo at The Rotunda

www.endoatrotunda.com

田中一さん

tanakahajime.net

www.instagram.com/tanakahajime.bftlabo

  • 下の写真は、スペイン産養殖鮪。ヨーロッパではこちらも最上級とされている。それぞれの鮪の味わいを見極めて、遠藤さんは、それらを極上の握りに仕立てる。

SE TORO 背トロ – The Connoisseur’s Toro

Endo at The Rotunda, London | February 2022

Sushi Chef KAZUTOSHI ENDO

Tuna Fisherman HAJIME TANAKA

Chef Endo san never stop challenging and every time I dine here, there are new surprises and discoveries. This time, what stroke me the most was his SETORO – Chutoro just under the dorsal fin. And most importantly, this tuna was from Hajime Tanaka san – a Japanese tuna fisherman based in Portugal.

Normally, toro is mostly found in the belly. But Se-Toro, as the name suggests, is the Se(back) side and has a different flavour to belly toro.

“ I chose this part for you tonight”

said Endo san.

“ This is connoisseur’s toro, and we sushi chefs love it”

The differences in taste was distinct ( at least for me ). However, at first I had no words to describe it. I really didn’t know how to express this special flavour.

It was complexed. It has layers, characters, strength and appealing, still none of the words fully describe what I was tasting.
After a while, as I was exchanging opinions with Endo san, I finally found the right word.

Taste of things lived

A life lived on this beautiful planet.

I then suddenly visualised an image and almost felt it.
A great large fish swimming boldly in the big ocean. It was as if I could feel the temperature of the ocean, as if I were slicing through a mass of water with my whole shiny smooth body. A precious life that could only grow in the wild was now reborn at Endo san’s sushi counter that night.

A few days later, I asked Tanaka san about Setoro and and received a reply that utterly surprised me.

“The back of the fish has less fat than the belly, so the characteristics of the fish are more pronounced.

On the other hand, the fat is the part of the fish where the characteristics are less evident.

The characteristics of a fish are the way it has lived its life.

In other words, it is the back that shows how the tuna has lived.

The smell of the sea, where the tuna lives.

The scent of the food that the tuna eats.

The distance the tuna has swam, the tightness of its muscles.

All of these things can be seen in the parts with less fat.

The less fat there is, the more sensitive we are to it.

You have to use every senses in your body to taste it “

Tanaka san has deep love and tremendous passions for this noble creature.
He pays respects and is thanking the fish everyday.

I thank Endo san and Tanaka san for having shown me one of the most precious and beautiful things of this earth can give.

*** PLEASE VISIT MY INSTAGRAM TO SEE MORE VIDEO OF ENDO AT THE ROTUNDA ***

the.japan.set_naoko

Endo at The Rotunda

www.endoatrotunda.com

Hajime Tanaka

tanakahajime.net

www.instagram.com/tanakahajime.bftlabo

  • Extra photos of Tuna/Maguro: Even farmed tuna from Spain become superb Nigiri by chef Endo-san’s spreme Edomae skills.

新たなる ENDO を読み解く

Endo at the Rotunda

LONDON

Sushi Chef・KAZUTOSHI ENDO | 鮨職人・遠藤和年さん

序章】

2020年12月

イギリスに新たな厳しいロックダウン規制が導入された後も、まだ、真っ新な、新年への希望は、決して消えてはいない。

年が明け、新しい Endoを訪れることにができるようになった時、ぜひ、知っておいていただきたいことがいくつかある。
知っていただければ、Endoでのかけがえのない食事の時間が、より深い意味を持ち、大切な思い出となるだろうと、信じているから。

9ヶ月間、店を離れている間、遠藤さんは多くの困難を乗り越えてこられた。
最も厳しいものだったこの時、「コロナとの戦いと挑戦と」は、別のページ にも書かせていただいたので、もし、時間のある方は、ぜひ、こちらも読んでいただけると嬉しい。

この戦いの末に、そして、その記事を書いた直後にも、遠藤さんには窮地に立たされる危機が訪れており、先週の、ソフトオープニングの日というのは、まさに、瀕死の状態からの復活なのだった。

「心が折れる、と言いますが、私はこの時、本当に、折れてしまっていました。折れた枝が、薄皮、繊維一枚だけで、つながっているような感覚でした。もう、日本へ帰ろうと、本気で考えていたのです」

ソフトオープンの夜に、こうして、心の内を話してくださった時、遠藤さんの目尻にはうっすらと、涙が滲んでいた。

この頃の遠藤さんのお気持ちや、葛藤は、また、別の形できちんと残したいと思っている。

この記事では、それを超えた後の、今。
新しい章が始まったEndoで、どんな寿司が、料理が楽しめるかを、ぜひ、書かせていただきたい。

***

【 第1章  舎利 】

遠藤さんの挨拶と同じく、私も、あえて、この記事では詳細は書かないでおこうと思うが、9ヶ月間の閉店の最中「完全に自分はあの時、折れていた」と吐露された。

その後の新たな門出にあたって、遠藤さんが、一番、大きな物語として掲げているのが、シャリだ。

そもそも、このシャリから、新しい店への活力が生まれ、困難を乗り越えた後の再開へと結びつき、今日の日のような、不死鳥のような羽ばたきをみせたのだと思う。

何が違うのか。

なぜ、シャリなのか。

それは、引越しの際に、偶然、見つけた一つの箱だったと言う。
その箱の存在すら忘れていたそうだ。
開けてみると、中から、亡くなられた父上が所持していた書籍が出てきた。

初版は明治とある、古い江戸前鮨の書物。
遠藤さんの祖父と同時期の古い寿司について、細かく書かれたものだ。
お父様の書き込みが多く記されていた。
すぐさま、母親へ電話をし、話を聞いた。

何かの思し召しではないかと感じずにはいられなかった。
江戸時代の寿司シャリ。
その、レシピを見て、驚いた。
米の炊き方から、酢に至るまで、あらゆる事が違っている。
しかし、そこには科学的な根拠と合理性が備わっていた。

遠藤さんの祖父が、この時代のシャリを使って、鮨を握っていたことも、母親から聞いた。

“ これを、今のロンドンで出してみたい。
大切なお客さんを、江戸時代の日本へとお連れしたい。
過去、現在、未来。
点と点を、線でつなぎたい “

コロナ下での辛い気持ちが、走馬燈のように流れた。

今年一年を過ごして、
私たちの誰もが、
人間はどこから来て、どこへ行くのか、
そんなことを考えずにはいられなかったと思う。

新しいシャリは、砂糖を全く使用していない。
酢は、2ヶ月間熟成の酒粕酢を日本から取り寄せて使っている。
だからだろうか、砂糖がなくとも、全く角がなく、米が生み出す甘味だけで充分な塩梅となっている。

シャリ櫃を見て、少し驚いた。
初めて見る、小ぶりサイズのもの。
400gの米を、3回に分けて炊くという。
そして、その都度、それぞれの、使用する米の配合も変えている。

シャリだけを見せていただいた。
「以前より、もっと赤いでしょ」と、遠藤さんは微笑む。

遠藤さんのシャリは、ネタによって、全て温度が変えられていて、時に、非常に温かい。
例えば、この日のエビは人肌36度、シャリは30度程度、だそうだ。

そして、新しいコースでは、以前よりも、さらに、
手のひらで握りを受けとる数が増えている。

このシャリを、手のひらでいただく時、私たちは、どのような気持ちになるだろうか。

温かい鮨飯の温度が、直に伝わってくる感覚。
指でつまむよりも、さらに、繊細に握られた鮨。

20品以上のコースを全て終えた後に、シャリの記憶が、驚くほど淡いことに気づく。
つまり、シャリの主張や押しつけなどが、まったく記憶として残っていない。
まさに、鮨シャリとしての、真骨頂なのではないだろうか。

「今のロンドンの気温って、江戸時代の日本の気温と、非常に近いんですよ」

思いがけない偶然を、心から喜ぶ遠藤さんの、
内側で暖かく発光するような小さな灯りが、実際に見えた気がした。

この、江戸時代のシャリで握る、彼の一刀入魂の握りを、次の章でご紹介したい。

***

 【 第2章  握り 】

「シャリが変わったので、ネタの仕込みも、すべて変えました。以前と全く違います」

店のスタッフは、最初にこれを告げられた時、「そこまでやるのですか?!」と、あまりの変化にかなり戸惑ったと言う。

ロックダウン中の夏頃、遠藤さんはすでに

「次に店を再開する時は、今まで同じようには開けないつもりです」

と話していた。

その頃は、普通に店を開けて、通常営業に戻ることだけでも、大変で精一杯だった時期だ。
今まで以上を目指すなど、考える気力すらないのが、誰にとっても当たり前だったと思う。
ただ、遠藤さんの中には、そういう考えは毛頭なかった。
待っていてくださり、食べに戻ってきてくれるお客さまに、なにか心に響くものを与えたい。自らがロックダウンで感じた、人と人とのつながりの意味を、より深く、密にしたい。
それもあって、これまで10席だった店は、8席に減らすことにした。一人一人と、しっかり向き合いたい、という思いからだ。
店に行かれたことのある方、あるいは、写真で店内を見たことのある方は分かってもらえると思うが、ロンドンであのような広さ、細部にまで拘ったしつらい、一流のスタッフの数、の店としては、あり得ない席数だ。

「どこかで食べたことがある、というのでは、ダメだと思うんです」

そう遠藤さんが言い、次々と繰り出された鮨、握りは、まさに、有言実行で、一貫一貫に、凄みと猛烈な力、インパクトが漲っていた。

この日、全コース20品のうち、鮨は12貫。
そのうちの、いくつかをご紹介する。



トロ
この日は、スペイン・バレアス海、北大西洋ではなく地中海からのもので、カマの横の部位、大トロと中トロを出された。
熟成は8日間。全ての握りにおいて、しっかりと熟成はかけているものの、ただ、「やり過ぎない」とおっしゃる。熟成もやり過ぎてしまうと、脂がサラダオイルのようになってしまい、香りも損なわれてしまう、からだそうだ。

帆立
私がこの夜、最も衝撃を受けたネタは、帆立だ。遠藤さんは「この魚を買う、ではなく、この人から買う」を信条とする。この帆立を採ってこられるダイバーさんは、他の誰よりも、深く潜って採るのだそうだ。「ホタテがサバイブして(生き延びて)いるんですよ」と遠藤さんは言う。清涼な瑞々しさが炸裂する、あまりにも綺麗な帆立。海の美しい、清い部分だけを濃縮したような、真珠色に輝く帆立。そこに、2年がかりでやっと完成したという、塩分ゼロという昆布締めの英国産キャビアを合わせる。


同じく、サバの味わいの清さ、美しさにも感激した。そして、やはり、同じ海、エリアから獲られるのに、遠藤さんは、この人、という漁師さんから買う。その違いは、食べて、歴然とする。漁師の方の心意気と、ある種の優しさが、舌にビシビシ伝わってくる、この上なく美しい一貫だ。

牡蠣
遠藤さんが出されたこのネタには、江戸前仕事「漬け込み」が存分に施されている。煮蛤と同じ仕事を、牡蠣で仕立てあり、じんわりと、ゆっくりと、ふわりと、内に秘めるなんとも言えない、郷愁的な、一瞬にして自分の懐かしい過去の記憶に引き戻されたかと錯覚するような、そんな味わいが湧き上がってくる風味だ。


圧巻の一貫だ。これ程までに濃厚で力強いスズキをいただいたことは無い。熟成は4日間。旨味が限界に近づいている状態で、三枚付けいただく。ねっとりと口内を埋め尽くす旨みが強烈だ。

この他、山田錦の稲で薫香を付けた人気のサーモン。鰻は、今回は備長炭での炭火焼となっている。シグニチャーのトロのビジネスカードも健在だ。この他、コーンウォール産の昆布締めの烏賊、熟成キャビアを合わせたスコットランドのラングスティーン….、いずれもが特筆に値する。

今回、遠藤さんがフィロソフィーに掲げているのは、「一期一会」ではなく、「一座建立」だと話されていたが、この日、この瞬間限りの、出会いと味わいは、儚くも口からは消えるが、脳裏の記憶には鋭く、深く刻まれている。

***

【 第3 章  御料理  】

新しいEndoで、進化したのは、鮨だけではない。
もしかすると、その底上げが顕著だったのは、この御料理の品々だったのかもしれない。

日本料理の核である、出汁は、目の前で鰹節を削り、お椀が出るタイミングに合わせて引かれる。
温かい、引き立ての一番出汁の、立ち昇る香りと滋味を味わうと、穏やかな気持ちになる。

「最初に、心と身体を清めるような気持ちで、お出ししています」

この日の椀の具は季節もたけなわの蟹真薯であった。

さらに、変化に気づかずにはいられないのが、天ぷらの数々だ。
日本から届いた松茸。英国南部デボン産ロブスター。アンコウにはべっ甲あんが敷かれ、各々は、別々のタイミングで、天ぷらに仕立てられて登場する。
以前よりも軽い衣ゆえか、中の素材が大いに風味を発揮できる環境に整ってある。それぞれに合わせられる”ソース”にも遠藤さんの細部へのこだわりが感じられる。

印象に強く残ったのは、ブリのしゃぶしゃぶだ。吉野葛を絡めてから湯に潜らせることで、もっちりとした食感となり、旨味が密に閉じ込められている。
火を入れるには忍びないほどの、最上級のブリの濃厚さに負けない、しっかりとしたつゆも、丁寧な仕事を感じさせる。

焼き物は、鶉のくわ焼き。そして、トロの握りを何貫かいただいた後の、大トロの”炙り”と名付けられた、ステーキに匹敵するかの如く力強い焼き物。さらには、宮崎和牛肉を軽く火入れした一品。この和牛は、あまりにさりげなくコースの終盤に出されるが、この皿だけで、一つの投稿が書けるほどで、どこまでも、決して、力を抜かない遠藤さんのエネルギーが、この料理で炸裂するかのようだ。そして、これに、添えられるのが、塩釜で調理された、なまやさいさんが育てる、英国産の聖護院カブラとビーツ。わざわざ、これを調理するためだけに、釜を特注したという。

これらの料理は、料理はそれぞれ、握りの合間合間に挟み込まれて登場する。
鍛え抜かれた剛速の直球から、変化球までが、巧みに投げられる。

この一連の流れの中で食事をさせていただくと、明らかに、通常の鮨カウンターとは、全く異なる展開であることを、身体全体で実感する。
そして、これこそが、Endoを、この場所でしか体験し得ない、唯一無二ものとして屹立させているのだ、と気づかされる。
以前より、カウンターに座るお客様は、英国外から訪れている方が半分を占めていた、と言う。


一球闘魂の鮨の迫力に圧倒されて、しばし、放心している間に、このスーパースター級のお料理の数々がめくるめく登場する様を想像してほしい。。。

脳と、舌と、心の格闘技とも思えるかの如く、遠藤さんとの真剣勝負には、覚悟を持って、ぜひ、挑んでいただきたい。

***

【 最終章  結界  】

Endoを堪能するのは、ただ、そこに座って、遠藤さんに身を委ねるだけで、十分だ。

それでもやはり、少しだけでも彼の想いを知っていると、その貴重な時間が濃厚になると思い、この再開後のEndoシリーズを書かせていただいた。

この中で、一番、伝えておきたかったのが、この、結界だ。

(日本の方には馴染みのある言葉だと思うのですが、英語バージョンもあるため、海外の方にも分かりやすいよう、言葉の説明も書きたいと思います)

結界とは、元は仏教用語で、日常の中で、よく耳にするのは茶道の時かもしれない。
結界は、もともと修行僧が、修行に励むために、聖職者のエリアと、その外を分けたことが起源と言われている。
つまり、内と外、聖なる域と俗なる域を分ける境界線のことであるが、お寺や神社でなくとも、日常にも、ある種の結界は見てとれる。
例えば、商店の暖簾や、食事のお箸も、結界の一種だと考える向きもある。

ただ、遠藤さんが、レストランを聖域と考えているのではなく、単に、日常の煩わしさやな悩みなどから、せめて、Endoで食事をするときだけは解き放たれて、しばしの楽しい口福な時間を味わってほしい。そう願う気持ちを込めて、最初のドリンクを「結界」という名で出されている。
「結界」を越えて中に入り、その場に身を委ねると、いい時間に出会える。
遠藤さんは、そのためには、自らは全力を尽くして参ります、という、ある意味、彼にとっての決意表明なのだろうとも思う。

新しいコースは、五つのチャプターに分かれており、最初は「再会」から始まる。

再会に際して、いただくこの飲み物が、ほうじ茶がベースになった、ちょっとした趣向のあるこのドリンク。
口に入れると、なんとも言えない面白い趣向があるが、ネタバレにならないよう、ここでは割愛する。

そして、全てのコースを終えた後に、バーに座って、デザートと共にいただくのが、三種のお茶をブレンドしたものだ。ここでもやはり、同じほうじ茶が一番配合が多くされてあり、始めと終わりが、一巡して、まあるく完結するのを、しみじみ感じ取れる。

新しいEndoで、まだまだ、特筆したいことは多々あるのだが、いくつかに絞って、記させていだく。

*

備長炭
今回から、和歌山から入手する、備長炭を使って調理をしている。日本の料理ジャンルで、”職人技”と呼ばれる、いくつかの技術があるが、この、炭を扱う技術も、確実にその一つである。扱いは非常に難しいが、それを使いこなした時に得られる、未だかつて出会ったことのない素材の真の価値を引き出す、とてつもない威力。この場で、その一片に触れていただきたい。

お酒
菊谷なつきさん (www.museumofsake.co.uk)( www.instagram.com/natsukipim ) がセレクションする日本酒が、さらにパワーアップしてる。日本でもなかなか手に入らないという銘柄を、Endoのために仕入れているそうだ。彼女の日本酒の目利きは一級で、彼女のアドバイスに従順に従えば、洗練された、格別の日本酒に辿り着ける。この日は新政のエクリュをいただいた。エレガントな芳香と舌あたり。華があり、躍動感のある味わい。まさに、Endoの新しい出発を祝うにふさわしいお酒だった。「そのお酒に物語があるかどうか」。なつきさんがお酒を選ぶときの基準となっている事柄だそうだ。 

BAR
海外では特に、日本料理や鮨の店と言えども、バーエリアを求められる。Endoのバーで、今、行われているのが、鮨に合わせたカクテルを出すこと..。これは、私にも、全く未知の世界で、今後、こちらのバーテンダー市川潤さんから、ご教授いただきたいと思っている。この前代未聞の取り組み。非常にワクワクさせられる。

スタッフ
遠藤さんのインパクトが強いEndoではあるが、その実力は、スタッフに大きくある。初めて遠藤さんをイベントでお見かけした時、隣に立つお弟子さんの動きに、私の目が釘付けになった。阿吽の呼吸を逃さない、シンクロした流れ。そのようなスタッフがいらっしゃることが、彼の大きさをあらわしてもいる。

「英国が本格的なロックダウンに突入した時、誰も辞めさせない、と決めました」

技術だけでなく、心のありようも素晴らしいスタッフの皆さん。お店では、ぜひ、このスタッフの皆さんの実力をも味わっていただきたい。

SUMI
すでにご存知で、食事、お弁当をテイクアウトされた方もいらっしゃると思うが、12月に遠藤さんが新しく出店した、カジュアルな店だ。お母様の名前からとった店名。店内の暖かい灯の中に足を踏み入れると、心休まるのは、そんなつながりがあるのかもしれない。鮨ヘッドシェフは、安田明徳さん。料理を担当するヘッドシェフにDavid Buryさん。遠藤さんの精神を大いに受け継がれている。小回りのきく、活気あるこの店が、これから、どんな面白い展開をされるのか、とにかく、目が離せない。

www.sushisumi.com

序章を含め、五つの章に渡って長く書かせていただき、また、ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
唯一無二のEndo at Rotundaの世界。
文章と映像で堪能していただけていれば、とても光栄です。

***

ブログに先立って掲載したインスタグラムの投稿へ、皆様からの様々な感想をいただき、大変励みになっています。
いただいた応援、嬉しいメッセージも、遠藤さんへ、きちんとお伝えしています。
ぜひ、皆さんのコメントを書き込んでくださいませ。

(インスタにはビデオも載せていますので、ぜひ、よろしければご覧ください)

今はただ、一刻も早く、感染が収束し、また、元のようにレストランで食事のできる日が戻ることを祈るばかりです。

そして、生産者の方々、サプライヤーの方々が、新しいブレグジット後の規制の下も、変わりない環境が続き、これまで同様の素晴らしい食材をご提供できる状況であることを、心より願っております。

お世話になった皆さまに心より感謝申し上げます。

ジェフリーズ直子

Naoko Jeffries

鮨職人 遠藤和年さん endo at the Rotunda      コロナとの、戦いと、挑戦と 

2020年3月。
イギリスは、大きなコロナ感染の渦に巻き込まれた。

ロンドンで、寿司レストランのシェフを務める遠藤和年(エンドウ カズトシ)さんは、
自らの店が、自粛に追い込まれる状況にも関わらず、

医療従事者や、生産者を助けるために、日夜、奔走する。

この、数ヶ月間の、歴史的な出来事の最中、
鮨職人として、
遠藤さんは、一体、どのような体験をされたのだろうか。

これまでの人生観が、
このコロナで、大きく変わってしまった、と話す
彼に、お話を伺った。

 

*****

水曜日、午前11時半。
遠藤さんが、電話口に出られた。

コロナの自粛もあり、しばらくは、お店にも伺えず、
テキストでのチャットを、何度かさせてもらっていただけだったので、
直接、お話するのは、久しぶりだった。

人をぐいぐい引き込む、
力みなぎる、エネルギーの人。
いつもはそんな風の遠藤さんだが、
この日の、電話越しの声は、
思いの外、
ひっそりとした、低音のものだった。

今回のコロナの事態の最中に、
率先して、方々で、
人々の救済に走られていた彼の事を、
文字にして、どこかできちんと残しておきたい。
その趣旨をお伝えして、インタビューを申し込んでいた。

実は、海外メディアのインタビューが、昨日あったんですよ。
 でも、ほとんどの質問内容は、私がイギリスに来る前の寿司職人としての修業についての事でした」

噛みしめるような、低い静かな声。

この、コロナでの戦いで、話し切れていない事がある。
長い、自分との葛藤、戦いでもある、この数ヶ月間のことを、
今から、どうやって、話せばいいのだろうか、という、
“重み”が、
その声から、じんわり、滲み出てきていた。 

イギリスでは、
自粛を通達された業種の従業員には、
80%の給与補償がすぐに出され、
すべての飲食店は、クローズした後、
それぞれの、状況へと突入した。

これまでの優良経営や、潤沢な資金がその時点ではあることから、
まずは、店を閉め、しばらく静かに状況を見守る店。

国の補償だけでは、十分でないため、
唯一できる、テイクアウトをスタートし、
幾分かの足しとして、ギリギリでも経営を続けている店。

そして、もちろん、
クローズに追い込まれ、閉店を余儀なくされた店。

一番最初の質問にするべきではなかったのだけれど、
私の問いかけは、なぜか、ここから始まってしまった。

「遠藤さんは、この事態で、お店は補償はうまく受けられたのでしょうか?。。。」

素晴らしい立地と内装でスタートした、
しっかりとしたパートナーがバックに控えた店。
余裕があるからこそできた、救援活動だったのでしょうか?
そういったニュアンスの、変な意味に聞こえなかったか、少し心配になったのは、
もう、質問を口にした後だった。

「この今回の、全てのボランティアの事は、実は、パートナー経営陣には一言も相談しないで、
私が勝手に全部決めて、勝手に動いたんです」

まさか … … 。

「でも、後からこれを知ったパートナーは、ありがとうエンドウ、と、非常に喜んで、感謝してくれました」

遠藤さんの、遠藤さんたる所以のお話が、
この後、1時間半に渡って、
途切れる事なく、ほとばしり出た。 

恩返し 

最初のミシュランの星 を2019年10月、オープン後5ヶ月半にして取る、という快挙を遂げた後から、   
遠藤さんは、自分が、これからすべきことは、社会的貢献なのじゃないかと、考えるようになったと言う。 

そんな中、2月になり、日本でもコロナの感染がじわじわと広がりはじめた。
イギリスにもいずれ、感染は大変な波となってやってくることを、すぐに感じ取り、
その時がきたら、自分は何をすればいいのだろう、と、考えはじめる。

3月23日、イギリスはついに、ロックダウンとなった。
飲食店にも、休業の要請が発令された。

その日から、1週間。

「本当に、毎日、毎日、このことばかりを一日中考え続けていたんです。
鮨を握る職人として、自分が出来る事、やるべき事。。。 
でも、この時は、まだ、何をすれば良いのか、見えなかったんです」

ヨーロッパ各国は、この頃、まさに戦場のような事態となる。
国によっては厳しい警察による取り締まりが導入され、
病院は受け入れ許容数をこえて圧迫し始め、
1000人に迫る死者数が、日々、報告される。
これから、どうなってしまうのだろうかという、不安が、自分たちのすぐそばにあった。 

「チェルシー&ウエストミンスター病院に、お医者さんの知り合いがいるんです。
彼から、医療現場で働くスタッフは、本当にみんな大変で、食事をする暇もない、という話を聞いた時、これだ!と思いました」

***

横浜の寿司屋の三代目として生まれた遠藤さんは、
日本で高名な鮨職人の元で厳しい修業を積んだ後、
2007年に、渡英した。
その後、現在に至るまで、
ニューヨークやドバイ、香港にも仕事で暮らしたが、
自分を育ててくれた、鮨職人にしてくれたのは、この、イギリスだ、という思いが強いと言う。

「自分は、ロンドンに育ててもらった。感謝しかない。この、恩を、どうにかして返したい。。」

巻き寿司を、医療従事者の方々へ配ることを思いついた。
鰻、出汁巻き、干瓢が入った、立派な太巻きが、4切入っている。     
その翌日から、すぐさま、作業に取りかかった。

「4月は毎日、150〜200箱、お配りしていました。
バークレーホテルでは、警察の方や、救急車のスタッフが、ピットイン形式で、お寿司を受け取れます。
たまたま、知らずに入ってきた方も、sushiだと分かって、皆さん、驚きの表情で、喜ばれていました。
5月に入ると、病院での食事が、余りはじめていると聞き始めました。
たくさんのボランティアの方々が、食事を届け始めていたんです。
それでも、お寿司は人気があると聞いたので、
週2回にして、続けました。
トータル数ですか?  数にしたら、何個でしょうか。 結構多いと思います(笑)。。。。」 

単純計算で、6月の末までで、レストランendoから、9200箱の巻寿司弁当が配られたことになる。 
現在もまだ、この巻き寿司の配布は続けている。

「この頃から、次は、お客さんへの恩返しだ、と、思い始めました」 

お弁当を受け取って涙を流すお客 

「テイクアウトの、あの、お重弁当は、私のお客さんへの感謝の気持ちを表現したものなんです」 

・・

レストランが閉鎖した後は、
食べ手にとって、日々の食生活が、否応なしに、すっかり変わってしまった。 

スーパーの肉類棚が、空っぽだった時のことを、皆、覚えているだろうか。 
あそこの店には、食材がある、と言う噂を聞いて、
小さな、ガソリンスタンドに併設されているスーパーへ足を運んだり、 
並ぶ時間の短いタイミングを狙って、買い物をする。 
今まで、買ったことのない缶詰も、かろうじて棚に残っているものをカゴに入れたり。
オンラインショッピングでは、待機人数が、”あたなの番まであと5600人です”、と表示される画面を、朝6時に見つめたり….. 。 

いざ、自粛になって、子供との自炊やお菓子作りを楽しみつつも、
1、2週間たつ頃には、少しづつ、何か、物足りなさを感じ始める。
プロの手による、目利きのされた、食材。
シンプルでも、手間暇のかかった、料理を、渇望し始める。
そんな生活が、1ヶ月近く続いていた。

そんな折、ついに、遠藤さんのテイクアウトお重弁当が予約できると、SNS上で発信された。

もちろん、激しい争奪戦となり、1時間で完売となる。
予定枠の1200個は、瞬く間に埋まってしまった。                     

グルメフードへの熱は
やはり、まだ冷め切っていない。
さらに過熱している、という証、だろうか … 。 

「でも、今までの何かが、変わってしまったんですよ」

遠藤さんが、会話の途中で、言った。 

なんとなく、その意味が、分かる。
そして、あまり、今の時点で、この事を言う人はいないけれど、
きっと、同じ思いをしている人も、少なくないんじゃないかと思う。

何か、熱に浮かされていたような、白昼夢のような熱狂が、
この事態で、霧がさっと引いた様な感覚。
あとに残された現実は、
もっと、鮮明で、よりリアルで、
それゆえに、残酷までに現実的で、虚無感が漂う。 

ハッと、我に帰った、気がする。 

それから、思う。

食の、本質は、なんなんだろう。。。  

遠藤さんのお重弁当を、
これまでの熱狂の延長線上で、捉えている人も、実は、多いのかもしれない。

でも、遠藤さんの店、お寿司が
単なる、美食だけではないという食べ手も、数多くいた。
そんな人達にとっては、
彼のお重弁当を手にすることは、
単なるグルメテイクアウトを超えた、別の深い意味をもっていた。  

「まさか、本当に私が、自ら、お弁当を届けるとは、思っていらっしゃらなかったみたいです。」

受け取る時に、涙を流す人たちが、何人もいたと言う。 

テイクアウトのお弁当を受け取って、泣くという、そんな現実を、
どうやって、心の中で整理すればいいのだろう。 

「私が皆さんの顔を見たかったんです。 
会って、お互い、元気にしています、ということを、確認しあえれば、それが、喜びになると。。」

***

食べ物を超えた、“カタチあるもの”  

お弁当は、二段仕立てになっている。

和柄の風呂敷を解くと、上段は、ばらちらしで、熟成を効かせたスズキや鯛のほか、鰻、大トロ、和牛、ロブスター 、牡蠣、といったオールスター食材が、大胆に、ふんだんに織り交ぜてある。
玉子は、これぞ!と叫びたくなる、寿司職人の技が凝縮されていて、まるで日本にいるかのように味の記憶が蘇る。
いかにも、遠藤さん、レストランendoらしい仕立てとなっている。

そして、それらのネタに劣らず、心を掴むのが、なんとも味わい深いシャリだ。
噛み締めるほどに、甘みと柔らかな風味が広がって、後々まで長い余韻を残す。
心が慰められるような、慈悲深い、米の味がする。
秋田の米農家さんに、何年も懇願し、田植えも手伝った後、ようやく認めてもらい、特別に栽培してもらっているというお米。
魂が宿る。 

特注木箱の下段は、レストランでも提供されている厚切りレア和牛のサンドイッチのほか、マグロの太巻き寿司が整然と並ぶ。
アスパラガス、キャベツ、人参、きのこといったシンプルな野菜なのに、それぞれが、驚くほどの生命力に溢れていて、すこぶる、生き生きとした味わい。
鮮烈に、田舎の、緑が、脳裏に浮かび上がるほどに。。。
そして、山椒の実が、全体を引き締め、程よく和にまとまっている。
さりげなく、主張しない面持ちで、ふと、キャビアの小瓶が、隅に潜んでいる。 

 

全てのお弁当に、遠藤さん直筆の手書きメッセージが添えられてある。

かなりの食べ応えがある上に、これだけの高級素材も使われて、一人前70ポンドというお値段。
売り上げの15%は、チャリティーに寄付しているという。
どう考えても採算を度外視しているとしか思えない…。
 

「このお弁当を通じて、私がやりたかったのは、三角形で、みんなをつないでおくことだったんです。
レストランが閉まってしまい、生産者、サプライヤーの方々が、どうにも、立ち行かなくなってしまっていたんです。
このままでは、本当に、皆、つぶれてしまう。
私が続けて買っていくこと、それが、彼らへの責任だと思いました。
私がお願いして、特別に仕立ててもらっていた食材もありましたから。


そして、もちろん、いつもレストランへ来てくれていた、お客さまへも、何かお返ししたい、という一心です。
そうすると、ギリギリの採算で、お弁当を作る選択肢しか残っておらず … …。
若い衆には、無償で働いてもらうしかありません。
やりたくない者は来なくていい、と告げました。

でも、結局、全員、来てくれました。
みんなで作るから、意味があるんだ、と言ってくれて …。」

いつも魚を送ってくれていた漁師さんの中には、
田舎の漁村ゆえに、情報が行き渡っておらず、
イギリスがロックダウンされたこと、レストランが閉まっていることすら、知らない方もいたそうだ。

「エンドウ、どうして、みんな魚を買ってくれないんだ。。。」

涙を流して、そう話す漁師さんたちを救うため、遠藤さんは、身を削るような努力を何日も、何日もひた続けた。
これまで、何世代にも渡って、稼業で漁師をやってきていた人たち。
船を海に出して、その魚を売ることでしか、生きる道がない、という人たちが、
まさに今、追い込まれていた …. 。

強烈な葛藤が襲い、肉体的、精神的にも限界に近い疲労を感じた。
遠藤さんは、なんとか、彼らの魚を買い続けた。
それでも、半分ほどの漁師さんが、続けていくことができなくなったという。

レストランendoの料理を支えているのは、もちろん、魚だけではない。
寿司と同じくらい、スペシャリティーと評されている、宮崎牛肉を扱うサプライヤーさん。
塩分濃度を、自分の寿司に合うように調整してもらい、さらに、昆布でマリネしてくれている、キャビア業者さん。
トリュフを提供してくれている方々。
英国のイーストサセックスで、丹念に育てられている野菜は、コロナだからと、成長を止めることはない。
ロックダウン前に、イギリスのコーニッシュ子羊の美味しさを伝えたいと、コーンウォールの畜産農家と共に、熟成方法を試していた矢先の、この事態 … 。

ありとあらゆる関わりのある人々が、窮地に追い込まれていた。
そして、そこへも、遠藤さんは、自らを、燃え盛る戦火の中へと身を投じて、救済に向かっていった。 

このコロナの最中に一度、これまで取引のなかった業者さんから仕入れた魚に、違和感を感じたことがあったそうだ。
正直に、これは何か違うのではないか、と伝えたという。
彼からの回答は「こんな時だから、いちいち構っていられない」というものだった。
遠藤さんは、「それは違うだろう」と、少し、声を荒げたそうだ。 

遠藤さんのこの怒りは、
愕然とした悲しみから来るものなのかもしれない。 

彼を支え続けているのは、
核にある、
真っ当なものへの、敬意と感謝だ。

そして、何よりも、
人とのつながりだ。

どこまで追い込まれても、
決して妥協はしない。
諦めない。
戦い抜く。
守り抜く。  

この壮絶な決意は、
いったいどこから来るものなのだろうか。  

「何のために、自分が店を開いているんだろうって、自問し続けていたんです」

覚悟

「3年前に父が亡くなったのですが、両親には本当に厳しく育てられました」

横浜の老舗寿司店の暖簾を守るご両親からは、三代目後継として特別厳格なしつけと教育を、幼少の頃から受けてきた。 

小学生の遠藤さんは、茶道、書道、日本舞踊のお稽古に通い、歌舞伎鑑賞も定期的に“義務化”されていたそうだ。

「母は、これらを会得する時間を捻出するために、小学校と直談判もしました。三代目として育てなければならないんです、と言って(笑)」

長男として課された責任を背負いながら、大学進学は許されたが、卒業時には、寿司屋になるか、自分の好きな道を選ぶかという選択を迫られた。
「家を継がないなら、勘当する。だから、その覚悟で他の道を選ぶこと」という通達。 
22歳の遠藤さんには、家を捨てて突き進むことはできなかった。 

そうして、鮨職人の道を選び、父親の紹介から、有名な職人の元での修業も積んだ。
そんなある時、ロンドンの人気日本食レストランZumaから声がかかった。
イギリスに来て、ぜひ、グループの寿司部門のヘッドとして指揮して欲しい、という依頼だった。
渡英して、いくつかの店舗を見学し、食事をしたが、やはり、自分は日本で寿司を握るのだと感じていた。
最終日の夜、現地で働いている日本人料理人と、深夜まで、語り、飲み交わしていた。
その場で、こんな言葉がかけられた。           

「遠藤さんには、ロンドンの、イギリスの、これからの寿司文化の未来を背負っていただきたいのです」

背筋が凍ったと言う。
これまでは、実家の家業を継ぐことを、自らの天命として生きてきていたが、
この時、託されたのは、海を超えた地、ロンドン、そして、そこから広がる、ヨーロッパという、とてつもない“重責”だった。

体を駆け抜けた、衝撃に後押しされて、
遠藤さんは、ロンドンへ渡る決意をする。

日本へ帰国後、ご両親へ、そのことを告げた。
お二人にとっては、これまでの長年、遠藤さんを後継ぎとして大切に育て上げてきた数々の苦労、期待、様々な思いがあったことだろうが、
父親は「そうか」とだけ呟き、遠藤さんのイギリス行きが決まった。

2007年、遠藤さんは、ロンドンにて、鮨カウンターに立った。

***

尊敬する料理人として、遠藤さんは「The River Cafe」の故ローズ・グレー女史を挙げる。 

遠藤さんの店に来ると、彼女は、
「私はエンドウの寿司しか食べない」と言って、
必ず、彼が立つ、つけ場の前のカウンター席に座り、
美味しい、美味しいと微笑みながら、いつも嬉しそうに食べていたという。

ある時、彼女は、遠藤さんを、ロンドンの超有名店である自分の店に呼んで、
隅から隅まで、説明し、見せて回ったという。
そこで、何よりも彼を刺激したのは、彼女の、並々ならぬ、地元への愛だった。 

地元の素材、地元の生産者…。

「それから1年間、Zumaの休みの日に、彼女の店のスタージエとしてキッチンに入って働きました」

そののち、彼女から言われた言葉が、遠藤さんの背中を、一心に押し続けてきた。

「まず、10年経ったら、独立しろと、と言われました。そして、必ず、ミシュラン の星を取るんだ、とも。そして、自ら、たくさんのことを発信していくこと。自分には、その責任がある、と言われました」

昨年2019年に、ミシュラン の星を取得した際、舞台でのスピーチで号泣した遠藤さん。

「あの時、本当は、彼女への感謝の気持ちを言いたかったんですが、なんだか、泣きまくってしまって言葉がめちゃくちゃになってしまって………..。みんなからも、エンドウ、どうしたんだ?! って、言われましたが … 。 ローズの教え通り、ミシュラン を取ったんだ、と、だた、彼女に伝えたかったんです」

これまでも、激動ともいえる、彼の寿司職人としての人生だが、
今回の、このコロナでの一つ一つの出来事、心を揺さぶった感情は、
遠藤さんにとって、大きな変化をもたらしたと、話す。

「今までとは、すべてが違う」と言う。 

「これまでは、どこかで、誰かがしてくれる、という甘えみたいなものがありました。
あるいは、自分がするのは、おこがましい、というような謙遜も。。。
 
でも、この転機で、自分には、たくさんの責任があると痛感しました。
それから、自分には、やるべき事が、あると。」

それは、何ですか?という私の問いに、

「大義、ですね … …. 。」

遠藤さんは、ゆっくり、でも、何度か繰り返して、言った。

***

このコロナという大きな事態の中で、
すべての人が、
皆、様々な行動をしただろう。

カミュの作品「ペスト」に出てくる
あらゆる職種の登場人物が、
ロックダウンの最中に
みんなバラバラに動き走ったように、

私たちの一人一人が、
違った環境に陥り、
違った行動をし、
違った感情を得た、と思う。

そして、
自分という人間のある一面を、
初めて知った人も多かったのだと思う。

遠藤さんが、
果たして、登場人物の誰なのかは、
彼のみぞ知ることだろうが、
でも、確かなことは、
彼が、料理人という枠を超えて、
人間として、行動をしたことだろう。 

「やっぱり、人は、一人では生きていけないんです」

・・

これから

7月4日の、イギリスのレストラン解禁日以降も、
残念ながら、
まだ、endoは、再開する見込みは立っていない。

しかし、ソーシャルディスタンス、が求められるこの今、
遠藤さんが、この先に求めるのは、
より、皆と、近づくことだ、と言う。

お客と、皆と、もっと深く共有し合いたいものがあるのだ、と言う。

「喜び、 美しさ、  大地、  人の汗、 肌の触れ合い 」

時間をかけて、これまで以上に、
一人ひとりと、じっくり向き合いたいと話す。

このことを、説明するのに、遠藤さんは、恋愛を例えに出して、語ってくれた。
遠藤さんの言う、じっくり付き合う、は、
恋愛と同レベルの、真剣勝負を、意味している。 

食の世界が、
これから、どのように変わっていくのか、
まだ、誰もが計りかねるし、
恐る恐る、前に進んでいるような状況だ。

テクノロジーが席巻するのか?

素材が劇的に変化していくのか? 

それでも、
遠藤さんが、牽引していくのは、
人類が、これまで、何千年も繋いできた、
人と人との、エネルギー交換の場だ

そして、そこに、私たちが、おっとりと勝手に抱いている、未来への無邪気な希望は、
この先、
激しい勢いで変化していく、これからの時代と、
真っ向勝負で、ぶつかりあっていくだろう。
新しい波の渦が、一方を飲み込もうと、牙をむいて迫ってくる。

それでも、
生身の身体の、
生身の心の交流は、
人間としての、尊厳をかけて、
まだ、しばらくは、失われることはないだろう。 

遠藤さんが、
この数ヶ月間、
自らの精神と身体を切り刻んで
私たちに、問いかけたこと。

このコロナの事態で、
突如、私たちが開いた、クエスチョンの箱。

食の本質とは、なんなのだろう。。 

大義を授かった、
遠藤さんは、
遥かとおくの、到達点へ向かって
渾身の力を込めて
今、この瞬間も、全霊を捧げて、

走り続ける。 

・・・

©︎ 2020 Naoko Jeffries. All rights reserved.