・この捨てられていた、一つの海苔缶に、壮大な物語があった。それを知って、思わず、書かずにはいられなくなった。この小さな「のり缶」の物語を、皆さんにも知って欲しい。
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ある日、八木隆裕さんは、一般家庭でよく見かける、このブリキの海苔缶、きっと、食べ終わった後の、空っぽになった缶が、事もなくゴミとして捨てられているのを見た時、途轍もない想いに襲われた。
日本最古の茶筒司『開化堂』の六代目である八木隆裕さん。
創業明治8年、英国からブリキが輸入された際、初代が、茶筒を130もの工程を経る手作りで、製作し始めた。
その素晴らしい技と品質は高く評価された。
しかし、第二次世界大戦が勃発する。
戦火の元、貴重な物資である金属類は国が召集するため、道具を手放さなければならなくなる。
道具がなくなってしまっては、茶筒づくりを続けていくことができないと、八木さんのお爺様は、地面を掘って地下にブリキ素材を埋めて隠し、密かに制作を続けた。
そのため、お爺様は、投獄されてしまう。
だが、それでも、茶筒を作り続けることを決してあきらめなかった。
終戦を迎え、日本は、高度成長期に入る。
今度は、機械による大量生産が始まり、ブリキ缶は一般家庭に、瞬く間に普及した。
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あれから数十年を経て、八木さんは、あの日、海苔の缶が、何の躊躇もなく捨てられる時代となったことを、まざまざと目にする。
捨てられていた缶を拾い、工房へ持ち帰り、百年以上も続けられてきた技術で、開化堂の茶筒へと変えてみた。
滑らかで精密な缶は、そっと手を離すと、音もなく、息を潜めるようにして、蓋が閉じていく。
密閉率の高さは高度な技術の現れでもあるし、
シンプルさを極めた芸術的な美しさであり、
その上で、日々の暮らしに寄り添う、日常のもの、でもある。
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輝く表面を、蓋が音もなくゆっくりと滑り落ちる様は、
人間の手が生み出す「匠」というものが、
生き物のように、目の前で動きとなって浮かび上がる、
その瞬間でもある。
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「100年間、ずっと使い続けてもらえる物、それを作る意義を感じていますし、この先、何百年も伝えていきたいと思うのです」
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100年先まで、使えるもの。
その後の、
また、先の100年。
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もし今年、私がひとつ、開化堂の茶筒を手に入れたなら、
2122年には、私の大切な誰かが、その中に、茶葉か、別の“なにか”を収めていて、
2122年の棚、もしくは、未来型の物入れに、そっと置かれているのだろう。
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未来は、もしかすると、モノを所有しない時代なのかもしれない。
それでも、開化堂のこの茶筒には、必ず、別の用途が見出され、生き残っていく、そんな「意志」と「魂」が宿る。
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「プラスチックが登場した時、これは、素晴らしい素材だと言われ、もてはやされてきました。でも、現在は、この素材を減らそう、という動きになっています。素材への見方は、時代によって、変化するのです。そんな世の中で、100年という年月を超えていけるものを作り続けることに、こだわって行きたいのです」
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例えば、ローマ時代の皇帝のように、もしくは、老舗のお店であっても、その長い歴代を振り返る時、どこかの時代に登場する、革新的な何代目かの人物がいる。
6代目の八木隆裕さんは、開化堂という歴史の中で、そのような人物なのだと感じる。
今の空気を読む力、チームをつくる力、コラボレーションというアイデア、そして、彼自身に、備わる雰囲気。
メディアがこぞって彼をフィーチャーする理由が、なんとなく分かる。
しかし、それを超えて、八木隆裕さんの人を惹きつける引力は、根底に流れる、強い使命感だと思う。
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ものを手にしたいと思う時、私たちは、単純にその物体を所有するのではなく、そこにある物語を、手のひらと、心に、感じたい。
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あの、捨てられていた海苔缶が、今、開化堂という、精神的なフィルターを通して、新しいものへと生まれ変わった。
そこに、どんなメッセージがあるか、少しだけ考えてみると、ハッとさせられる。
伝統を絶やさないことが、今の日本のものづくりの大きな課題ではあるが、
このような逸話を伺うと、また、どうしても、人ありきのことなのだと、ガツンと、思い知らされる。
そんな人物が登場することは、やっぱり、偶然、なのだろう。
でも、もしかすると、時の流れというものは、それが、必然、として作用しているのかもしれない。
それらが混沌となって、歴史となる。
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伝統と未来。
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エリザベス女王在位70周年のジュビリー式典に沸く英国で、
歴史という言葉が、降り注ぐ中で、
この、八木さんが手にする「のり缶」のお話は、
胸に、鋭く突き刺さる。
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そして、私は、私にとっての、開化堂の茶筒ストーリーを始めることが、
今は、楽しみでならない。
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【開化堂】
京都で明治8年より創業を続ける、日本最古の茶筒司。初代が生み出した工程を現在も守り、手作りで全ての制作を行う。その価値は世界にも認められ、英国V&A博物館のパーマネントコレクションとしても選出される。
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