麤皮 ARAGAWA ロンドン

昨年ロンドンのメイフェアにオープンした「ARAGAWA LONDON」。未だ、ベールに包まれている、和牛の至高「麤皮 ロンドン」の全貌に迫ります。

密やかに一部の食通の間で囁かれている「ARAGAWA」という名を、もしすでに聞いているなら、あなたはきっと、日本の和牛に精通している方に違いない。ロンドンの洗練されたメイフェアに佇むこのステーキハウスは、昨年10月、東京店と同じスタイルでオープンした。しかし未だ、このロンドン店はベールに包まれていると言えよう。

ARAGAWAロンドン店を噂で知る人にとっては、店のイメージは二つに分かれることだろう。

驚くほどの価格で提供されるステーキの店。あるいは、日本の和牛の頂点を味わえる聖域。

1967年に東京で創業し、フランスの美食家で文学の巨匠であるオノレ・ド・バルザックの同名小説にちなんで名付けられた「麤皮(あらがわ)」は、最高の質を誇る日本のステーキ店の中でも、伝説的な存在として知られる。昨年、この店が、ロンドンの静かな通りに、東京本店と呼応する形で根を下ろした。オーナーの小川光太郎氏は、国外であっても、最高のものだけを提供するという揺るぎない信念を、この数年の間、私に語ってくださった。コマーシャル化され過ぎた今の風潮を避け、開店後も、本物への真摯な姿勢を示し続けている。

この、稀有なステーキ店は、一種の排他的なオーラに包まれつつ、この数ヶ月間は限られた美食家たちだけが味わう場所として在り続けてきた。この記事では、その肉の、料理の、和牛が誇る至宝の如き層を一つずつ解き明かしながら、その類まれな和牛の世界を巡っていく。麤皮を麤皮たらしめるレガシー、それを生み出す職人技、そこにかける真摯な取り組みを探求していきたい。

このステーキの名店と日本の和牛の頂点を理解するために、知っておくべき重要なキーワードがいくつかある。それらを一つずつ、詳しく掘り下げていこう。

第一章: 

和牛の最高峰、純血統但馬種

まずは、なによりも肝心な事から話さなければならない。

肉、について。

海外でも人気の高いWagyu。メニューでもその名を見かけると、特別な牛肉の扱いであることが即座にわかる。そして、価格もそれ相応に反応していることは、皆さんも周知の事だろう。しかし、Wagyuとは、訳せばJapanese cattleであり、日本在来種の牛をベースに交配を繰り返してつくられた牛のことを指す。和牛として認められるのは、「黒毛和種」「褐毛(あかげ)和種」「日本短角種」「無角和種」の4品種と、それらの品種間のハイブリッド。「黒毛和牛」は、そのうち90%以上を占めている。

1970年代から90年代にかけて、和牛の遺伝資源がオーストラリアやアメリカなどに持ち込まれ育てられたことにより、外国産の ”Wagyu” と記された肉も海外に出回るようになった。しかし、これらの牛肉は、日本で生まれ育った和牛とは、飼育環境や品質などが異なったWagyuであることは知っておきたい。

メニューに書かれている ”Wagyu” の文字だけでは、果たして、それが、日本で飼育されたものか、そうでないか、の区別はつかない。より厳密に日本産 Wagyu を求めるならば、日本の産地名をそこに探す必要がある。日本の地名が示すのは、それはその地方の基準に則って飼育された和牛である証だ。日本では、和牛肉を「和牛」として販売するためには、国内での飼育と品種の基準を満たすこと、そして追跡可能な10桁の個体識別番号の提示が必須とされている。

しかし、日本の中で最良質とされる黒毛和牛は、その元を辿れば、兵庫県の但馬牛、という種に行き着く。

但馬牛は、16世紀ごろより、その素晴らしい肉質を人々が認識し始め、その味わいを高めるための多大な努力がなされてきた。しかし、明治後半、より多くの肉身を得る目的で外国種との交配が過剰に行われ、品質が大きく変化してしまった。その事実に気づいた時には、事態は絶滅の危機に瀕していた。しかし、奇跡的に、たった四頭のみ、交配を免れて純血牛として存在していた牛が、兵庫県の小さな村で見つかった。これが、何百年にも渡り、日本で最高峰と言われていた但馬牛だ。

その四頭を大切に保護し、丁寧に継承をした結果、但馬牛は復活を遂げた。今、日本で上質の肉とされている黒毛和牛のほとんどは、この但馬種を源流にもつと言われている。但馬牛は、長年かけて得られた知見に基づく、特別な環境と飼育方法、その稀なる品種の特性から、深みある旨みを持ち、肉の芳香も高く、そして、何よりもサシの融点が他種の牛と比べて10℃程度低い。それだけに、食べた時の脂の口溶けがすこぶる綺麗なのだ。

もし、日本の牛肉の頂点を求めるなら、まずは但馬種の血統をもつ牛であることが非常に大切だ。その中でも、直結の純血を保っているものは、すこぶる少ない。美味なる和牛を求めるなら、まずは、純潔但馬牛であることが必須だ。その上で、究極の美味しさ、最高峰の味わいをとことん突き詰めるならば、最終的には、肥育農家が誰であるか、が、何にも増して、要となる決定的要素だ。

天然の漁や狩猟であっても、誰がその生き物をとるのかは、品質に大いに関わってくる。どの季節に、どの場所へ赴き、どのようにして獲物を見つけ出し、そして、仕留めた後の処理をどのようにして、どのような気持ちで成すか。全ては人の手に委ねられている。ましてや、それが、農場や牧場のように、人の手がさらに大きく関わるとなると、その人物の手に甚大な影響力が生まれる。

そんな、名肥育家が扱う牛の中でも、買い手が肥育家とどれだけの信頼関係を持っているかは、さらに大きな意味を持つ。彼らがどれだけ特別な配慮を施して飼育しているか、雌牛か去勢牛か、経産牛か否か、肥育月数、飼料、肥育環境など、そういった重要なファクターを丁寧に加味し、そして、それらをも超えたこだわりが、最終的に、極稀で、希少な数のみの最高峰の肉質を持つ牛となって誕生する。そこには、人と人とのつながりが大きく関わっている。

そのような世界では、今日明日で仕入れが可能になるような牛は、どこにもない。

麤皮には、日本に数多とある但馬牛の中でも、国内であっても幻と呼ばれるランクの、最高峰の和牛がある。

その一つが岡崎牧場。但馬純血種、雌牛のみ。滋賀県近江にある岡崎牧場は、日本全国の肉を扱う高級店の誰もが、この農家の肉を手に入れたいと願う農家だ。そして、麤皮オーナーの小川光太郎氏は、岡崎牧場と10年以上の付き合いを重ね、現在の牧場オーナーである6代目岡崎氏へ、味わいを見越したリクエストを重ね、共に試行錯誤して肥育を行なっている。そうしてようやく生み出される、稀なる味わいの、麤皮のためだけの肉が創り上げられる。

「特に、私が心を割いているのが、肥育月数です」

と小川氏は言う。

「麤皮では38ヶ月から、長いものだと、60ヶ月肥育された肉を使います。長期肥育を岡崎さんと本格的に試み始めたのは、7、8年前ぐらいからです。当然、コストもかかるし、それだけ長く育てても、必ずしもいい牛になるとは限らないのです。それでも、長期肥育に心を割いて挑戦し続けるのは、その味わいが短期肥育では決して得られないものだからです」

ここ数年、日本の牛肉の世界では長期肥育が盛んに謳われるようになってきたが、このトレンドは、麤皮が作り出したものである。

「長期肥育された牛の肉質は、脂の融点がさらにグッと下がります。口溶けが非常によくなり、食べた時の脂の溶ける滑らかなセンセーションが全く変わってきます。そして、そのサシだけでなく、脂と赤身が融合しあったような、食感。サシと赤身に広がる、非常に奥行き深い旨みがのってきます」

その言葉通り、麤皮の肉は、分かりやすい突出した脂だけがインパクトを持つ和牛とは一線を画す。日本の上質の肉をそれなりに食べてきた人であっても、それまでにない新しい境地を、そこに見ることができる。麤皮の肉には、和牛の中でも特に芳醇な香り、キメの細やかで品のある柔和で滑らかな肉質、繊細な脂、深みと余韻の長い旨み、複雑に層を重ね持つ味わい、がある。

もし、あらゆる食において、特に、日本の素材の最高のものを初めてを口にするとき、人は、そのあまりにも上品で、エレガントな風味、しかし、奥行きのある余韻の長い深い味わいに、静かに驚く。あるいは、もしかすると、その清涼で繊細な軽やかさに拍子抜けするかもしれない。

もし、これまで特に、勢いのある押し出しの強い味わい、言い換えれば、インパクトだけを強調した風味に慣れてしまっていたなら、そのギャップは顕著だろう。

しかしどうか、ワインで考えて欲しい。あなたがもしワイン通なら、極め付けのブルゴーニュは、果たしてそういった大太刀まわりの派手な味わいだろうか…。

年月を重ねた素晴らしいヴィンテージの、希少価値の高い作り手による、小規模な畑から生まれたその珠玉の一杯。そこには、深淵に潜むあまりにも美しい余韻と繊細な風味があるはずで、もし、あなたがそれを認め、好むのであれば、麤皮の肉へも、同じアプローチで接してほしい。

すると、和牛という世界の、新しい扉が開くはずだ。

ARAGAWA ロンドン では、岡崎牧場の他、小川氏が長年付き合いを重ねる、同じく極上の肥育農家から仕入れる肉だけが揃う。但馬純血統の未経産雌牛、長期肥育の肉、そして部位は、極上のサーロイン、フィレ、ランプ、ラム芯、イチボなどが用意されている。

400gの塊で焼き上げられたステーキは、一人分200gの、堂々とした高さのある姿で美しく盛りつけられてテーブルに運ばれる。この分量は非常に食べ応えがある。

これだけの肉を焼くには、当然のことながら、日本有数の焼き手、職人が求められる。

私が、なぜ今、ARAGAWAロンドンで肉を食べたいか、と聞かれると、現在、このロンドン店に、麤皮東京店で40年以上に渡り、肉を扱い、焼きを担ってきた職人・今吉和雄氏が、いるからだ。

職人、とは、その道を極めた人物を指す。

今吉氏については、次章で語る。

【ARAGAWA】
38 Clarges Street
London W1J 7EN

https://aragawa-uk.com

https://www.instagram.com/aragawa_uk/

ジェフリーズ清水直子

はじめまして

ジェフリーズ清水直子です。

THE JAPAN SET では、ロンドンから、日本の食や文化について、
英語で、海外へ発信しています。

・・・

・・・

文字を紡ぐということ

日本の素晴らしき文化を、
もっと、世界の多くの方々に知っていただきたい。

より深く知れば、感激は、もっと大きくなる

そんな想いで、活動しています。


外国の方に共感を持ってもらえる

というアプローチを大切に、

25年以上に渡る、海外生活を経て培った経験を活かし、

日本の食や文化、


それらをつくり上げ、発展し、支えている、


素晴らしき人々のことを伝えるべく


私が心から感動を覚える人モノこと、を

心を込めて丁寧に、言葉を一つ一つ選んで、

書き記し、

海外の方からも、同じような想いを感じていただけるよう

これからも、感動と、喜びを伝えていきたいと思っています。

プロジェクト

The Japan Set 主宰者として、日本の食文化を海外へ伝える活動、シェフ、レストラン、官庁・行政機関、企業様とのプロジェクト、

フードジャーナリストとしての執筆活動を行っています。

日本の食材、飲料、プロダクツ、技術は、海外でも、いま、大きな注目を浴び、成長を続けています。

また、インバウンドの需要は、現在、急速に増えております。

世界へ届けたい、という個人・企業の皆様の想いに対して、日本の食の知識を持ち、現地市場のトレンドや動きを把握し、現地のレストラン、経済人ネットワークを持つ強みを生かして、お役に立てると信じています。

これまでも、和食の世界遺産登録イベントや、日本大使館、農林水産省とも、本物の日本食を伝えるプロモーションにも、関わらせていただきました。

日本の素晴らしきもの、

それを、日本人としての目線や、食の知識という力で持って、

世界へ大きく広げて行きたいです。

・・

ご依頼がありましたら、下記までお知らせください。

・・

THE JAPAN SET とは、日本をすきな人たち、という意味を込めた、ネーミングです。 

今、世界が、地球が、激動の最中にある中、
皆さんと、より良き未来に向かって、
一緒に、日本と世界のコミュニティーをつくっていけると嬉しいです。

      
ジェフリーズ清水直子       

ご連絡メール  : naoko@thejapanset.com
インスタグラム   : www.instagram.com/the.japan.set_naoko

ニュースレター:   thejapanset.substack.com

これまでの主な活動、メディア・イベント・プロモーション

1995年: 渡英
フリーランス ライター他
柴田書店「CAKEng」にてイギリスのカフェ事情をリポートするコラム連載
Bramah Tea and Coffee ミュージアムにてレクチャーのアシスタント等
Un Verre du The Ltd  英国紅茶のコンサルタント
 
 
1997年6月
英国WSET(Wine & Spirits Education Trust) ハイヤーサティフィケイト取得 
 
 
1998年4月
英国WSET(Wine & Spirits Education Trust)  ディプロマI,Ⅱ Aテイスティング 認定基準獲得
 
 
1998年ー1999年 Ecole de Creation (エコールドクレアシオン) 大阪
日本でのWSETワインコース・マネジメント、マスターオブワインとのコミュニケーション、講義、講義通訳、紅茶講義講師
 
 
2000年ー2004年 食雑誌「あまから手帖」編集部。 大阪
編集者として雑誌の企画、取材、編集、執筆を担当。日本料理全般から、全食ジャンルに渡る一連のジャンル、海外のシェフとのやり取り、海外取材。アルコール類酒ジャンル担当。同誌にてワインコラム、その他企画連載を執筆。日本ソムリエ協会名誉会長でマスターソムリエ岡 昌治氏を始めとするアルコール類に関する企画、連載を担当。
 
 
 
2004年再渡英 ~ 現在
 
フリーランス食ジャーナリスト、The Japan Set 主宰者としてヨーロッパを中心とし、日本の食文化を海外へ伝える活動、官庁、企業、レストランやシェフとのプロジェクトを行っている。
 
 
 
 
 
英国での主な活動
 
・在英国メディア企業「クロスメディア」にて編集者として勤務。日本食のグロサリー「JAPANESE FOOD TRADE DIRECTORY」出版に関わる(2005年)
 
・京都菊乃井プロデュース・ロンドン日本食レストラン「Chrysan」のメニュー策定、企画立案、メディア対応、および立ち上げ全般に携わる(2012年)
 
・毎日放送食テレビ番組において、現地コーディネーションや取材サポート等。
 
・日本大使館主催・ユネスコ無形文化遺産祝賀イベントで、イギリスの政財界および文化界要人やメディア関係者約170名が参加。著名人の手配、コーディネート、アテンド、および大使館との調整を担当(2014年2月)
 
・インスタグラムを通じて、日本食を中心に情報発信を開始(2015年~現在)
 
・宝酒造 教育機関チャリティーガライベントにて、澪mioの提供を企画・実施(2017年)
 
・日本農林水産省・日本大使館・日本料理アカデミー主催・小学生向け食育プロジェクトで、ワークショップを企画・実施(2018年5月)
 
・THE JAPAN SET 設立(2020年)

Web、インスタグラムを使い、日本の食文化を海外へ向け英語でコンテンツを作成、本格的に発信。文章コンテンツの作成、写真撮影・編集、動画撮影・編集を全て個人で手掛ける。専門的でより深い知識をベースとした見解を盛り込んだ内容で、海外シェフ、レストラン、企業より強い信頼を得る。取材をもとにした長文記事を執筆・配信。ロックダウン中のシェフの葛藤を描いた記事は、JETROのレクチャーにて引用。食のWebメディアWatobiにて前編・後編の記事を執筆。日本政府、企業主催のイベント参加。現在は、情報発信に加えて、日本の食文化と海外をつなぐビジネスも展開。英国レストラン・シェフとのコラボレーション。日本発海外向け食品商品開発。日本食レストラン・食品飲料企業の海外市場向けWeb/SNSコンテンツ制作、コンサルタント、メディア情報発信企画アドバイスなど。

  
・日本料理アカデミー英語版インスタグラムで投稿運営(2022年4月~2023年3月)
 
・東北観光推進機構 英国メディア向けプロモーションオンラインイベントに参加 (2021年)

・濵田酒造・The Drinks Business誌 焼酎「DAIYAME 40」プロモーション、記事作成に関連する試飲&インタビュー時の通訳(2022年9月)
 
・農林水産省主催・米・米粉英国プロモーション インスタグラムにてプロモーション(2023年2月)
 
・全日本食学会サミットに関する在英国シェフへのコンタクトを担当(2023年3月)

・大阪洋食レストラン 海外向け商品開発のコンサルタント及びパッケージの英訳・商品ネーミング

・アサヒスーパードライ英国 インスタグラムにてプレゼントキャンペーンを実施(2023年4月-5月)
 
 その他、レストラン、シェフとのコラボレーション多数


 


 
記事執筆先、主なメディア
 
・専門料理
・料理通信
・ブルータス
・和食の扉 watobi

      他

 

     

photo ©︎ 2020 Hania Farrell

Kaikado The Story of Nori Tin

This abandoned can of dried seaweed has a fascinating tale behind it.

I’d like to tell you the story of this little ‘Nori tin’

One day, Takahiro Yagi san was struck by a heart-wrenching feeling when he saw a seaweed tin, it was old but commonly seen in ordinary households, and which, no doubt, have been emptied after being eaten and thrown away without a second thought.

Takahiro Yagi is the sixth generation of Japan’s oldest tea caddy maker, KAIKADO.
Founded in 1875, when tinplate was imported from the UK, the first generation began producing tea caddies by hand, a process involving 130 steps.
His fine craftsmanship and quality were widely acclaimed.

However, when the Second World War broke out.

The tea caddy making tools had to be given up and sent out to the countryside as the country called for the valuable commodity of metals.
It was impossible to continue making tea caddies if the tools were lost, Yagi san’s grandfather dug into the ground, buried the tools underground and hid them, and continued to make caddies in secret.
For this, his grandfather was imprisoned.

Even so, he never gave up making tea caddies.

After the war, Japan entered a period of rapid economic growth.
Mass production by machine began, and tin cans quickly became popular in ordinary households.

*

Decades later, on that day, Yagi san saw how tin can was thrown away without hesitation.

He picked it up, took it back to his workshop and transformed it into Kaikado tea caddy, using a technique that has been handed down for over a hundred years.

Kaikado caddies are smooth and precise, and when you gently release your hand, the lid closes without a sound, as if under your breath.

The high degree of airtightness is a sign of a superior craftsmanship.

The artistic beauty at the utmost simplicity.

And on top of that, it is an everyday object, something that accompanies us in our daily lives.

The sight the lid slides down slowly and noiselessly on the smooth shining surface, is a moment when the artisanal skills of the human hand emerge as a movement before your eyes, like a living creature.

” I believe it’s meaningful to make something that will be used for a hundred years. I want to pass the skills and the philosophy on for hundreds of years to come “

Things that can be used for the next hundred years.
And then another hundred years after that.

If I get one of Kaikado’s tea caddies this year,

In 2122, my loved one will put tea leaves or something else in it.

It would be placed gently on a shelf in the year 2122, or in a futuristic closet.

The future, can be, an age in which people do not own things.

Even so, this tea caddy of Kaikado will surely find another use and survive, as it’s imbued with such ‘will’ and ‘soul’.

”When plastic first appeared, it was touted as a great material. But now there is a movement to reduce the use of it. Views on materials change with the times. In such a world, I want to stay making products that can last for 100 years”

There are many different positions that have lasted for generations, for example, Roman emperors or in businesses that has been in existence for generations.
When looking back over those long successive years, there are several generations of innovative figures who appear at some point in time.

I feel Takahiro Yagi san, the sixth generation, is one such figure in the history of Kaikado.

His ability to read the current trends, his drive to build a team, his ideas of collaboration, and the inviting personality he exudes.
It’s easy to see why the media are all excited to push features of him.

Beyond that, however, I think that Takahiro Yagi san’s attraction to people is the strong sense of commitment that runs through his roots.

*

When we hold something in our hands, we do not simply want to possess it, but we want to feel the story behind it in the palm of our hand and to our heart.

That abandoned Nori can has now been transformed into something new, through the spiritual- filter of Kaikado.
The message of this is clear, if you think for a moment.

Keeping tradition alive is a major challenge for Japanese craftsmanship today, but when I hear anecdotes like this, I am reminded, that it is inevitably about the people.

The appearance of such a person is, after all, a coincidence.
But perhaps the passage of time acts as an inevitability.

Tradition gives birth to the future.

On this day in Britain, which is celebrating the jubilee of the 70th anniversary of the reign of Queen Elizabeth II.
while the word ‘history’ is raining down like confetti.
The story of the “Nori can” in Yagi san’s hand touched my heart.

And now to me, I can’t wait to start my history of Kaikado tea caddy.

【 KAIKADO 】

Japan’s oldest tea caddy maker, established in Kyoto since 1875. The process created by the first generation is still maintained today and all production is carried out by hand. Its craftsmanship and value are recognised worldwide and it has been selected for the permanent collection of the V&A Museum in the UK.

www.kaikado.jp

✅ 🎥 To Watch Video of KAIKADO Tea Caddy, Visit ➡️ The.Japan.Set Instagram

開化堂「のり缶」の物語

この捨てられていた、一つの海苔缶に、壮大な物語があった。それを知って、思わず、書かずにはいられなくなった。この小さな「のり缶」の物語を、皆さんにも知って欲しい。

ある日、八木隆裕さんは、一般家庭でよく見かける、このブリキの海苔缶、きっと、食べ終わった後の、空っぽになった缶が、事もなくゴミとして捨てられているのを見た時、途轍もない想いに襲われた。

日本最古の茶筒司『開化堂』の六代目である八木隆裕さん。
創業明治8年、英国からブリキが輸入された際、初代が、茶筒を130もの工程を経る手作りで、製作し始めた。
その素晴らしい技と品質は高く評価された。

しかし、第二次世界大戦が勃発する。
戦火の元、貴重な物資である金属類は国が召集するため、道具を手放さなければならなくなる。
道具がなくなってしまっては、茶筒づくりを続けていくことができないと、八木さんのお爺様は、地面を掘って地下にブリキ素材を埋めて隠し、密かに制作を続けた。
そのため、お爺様は、投獄されてしまう。
だが、それでも、茶筒を作り続けることを決してあきらめなかった。

終戦を迎え、日本は、高度成長期に入る。
今度は、機械による大量生産が始まり、ブリキ缶は一般家庭に、瞬く間に普及した。

あれから数十年を経て、八木さんは、あの日、海苔の缶が、何の躊躇もなく捨てられる時代となったことを、まざまざと目にする。

捨てられていた缶を拾い、工房へ持ち帰り、百年以上も続けられてきた技術で、開化堂の茶筒へと変えてみた。

滑らかで精密な缶は、そっと手を離すと、音もなく、息を潜めるようにして、蓋が閉じていく。

密閉率の高さは高度な技術の現れでもあるし、

シンプルさを極めた芸術的な美しさであり、

その上で、日々の暮らしに寄り添う、日常のもの、でもある。

輝く表面を、蓋が音もなくゆっくりと滑り落ちる様は、

人間の手が生み出す「匠」というものが、

生き物のように、目の前で動きとなって浮かび上がる、

その瞬間でもある。

「100年間、ずっと使い続けてもらえる物、それを作る意義を感じていますし、この先、何百年も伝えていきたいと思うのです」

100年先まで、使えるもの。
その後の、

また、先の100年。

もし今年、私がひとつ、開化堂の茶筒を手に入れたなら、

2122年には、私の大切な誰かが、その中に、茶葉か、別の“なにか”を収めていて、

2122年の棚、もしくは、未来型の物入れに、そっと置かれているのだろう。

未来は、もしかすると、モノを所有しない時代なのかもしれない。

それでも、開化堂のこの茶筒には、必ず、別の用途が見出され、生き残っていく、そんな「意志」と「魂」が宿る。

「プラスチックが登場した時、これは、素晴らしい素材だと言われ、もてはやされてきました。でも、現在は、この素材を減らそう、という動きになっています。素材への見方は、時代によって、変化するのです。そんな世の中で、100年という年月を超えていけるものを作り続けることに、こだわって行きたいのです」

例えば、ローマ時代の皇帝のように、もしくは、老舗のお店であっても、その長い歴代を振り返る時、どこかの時代に登場する、革新的な何代目かの人物がいる。

6代目の八木隆裕さんは、開化堂という歴史の中で、そのような人物なのだと感じる。

今の空気を読む力、チームをつくる力、コラボレーションというアイデア、そして、彼自身に、備わる雰囲気。
メディアがこぞって彼をフィーチャーする理由が、なんとなく分かる。

しかし、それを超えて、八木隆裕さんの人を惹きつける引力は、根底に流れる、強い使命感だと思う。

ものを手にしたいと思う時、私たちは、単純にその物体を所有するのではなく、そこにある物語を、手のひらと、心に、感じたい。

あの、捨てられていた海苔缶が、今、開化堂という、精神的なフィルターを通して、新しいものへと生まれ変わった。
そこに、どんなメッセージがあるか、少しだけ考えてみると、ハッとさせられる。

伝統を絶やさないことが、今の日本のものづくりの大きな課題ではあるが、
このような逸話を伺うと、また、どうしても、人ありきのことなのだと、ガツンと、思い知らされる。

そんな人物が登場することは、やっぱり、偶然、なのだろう。
でも、もしかすると、時の流れというものは、それが、必然、として作用しているのかもしれない。

それらが混沌となって、歴史となる。

伝統と未来。


エリザベス女王在位70周年のジュビリー式典に沸く英国で、
歴史という言葉が、降り注ぐ中で、
この、八木さんが手にする「のり缶」のお話は、
胸に、鋭く突き刺さる。

そして、私は、私にとっての、開化堂の茶筒ストーリーを始めることが、

今は、楽しみでならない。

開化堂】

京都で明治8年より創業を続ける、日本最古の茶筒司。初代が生み出した工程を現在も守り、手作りで全ての制作を行う。その価値は世界にも認められ、英国V&A博物館のパーマネントコレクションとしても選出される。

www.kaikado.jp

つろく (割烹・京都)

『京味』の技を受け継ぐ、若手料理人・上田健登さんが魅せる、京都の隠れ家。

以前より、「つろく」さんのお名前を、方々から何度も聞いていた。
そのほとんどが、「京都の方がこっそりいく店」だったり、「食通の間で今よく話題になっているのよ」という感じだった。

気にならないはずはない。

私の今回の日本帰国そのものが、急な予定だったので、ほんの数日前という電話にも関わらず、思いがけず空席があり、こんな風に、数日前にすっと予約が取れた事が、なによりも嬉しい。

かつての文豪の方々が、書物によく書かれていたような、京都の食事の在り方は、これなのだろうな、と感じた。

コースは設定されていないので、好きなものを好きなように頂けることが、心底嬉しい。

食べ手の自由があることは、わがままが許されていて、
それを受けと止めてくれる懐と気概が、お店にも、
そして、東京・新橋の名店「京味」での経験を持つご主人・上田健登さんにもある、という事だ。

細い路地を抜けたところに、お店はあった。

(しばらく探してウロウロしてしまいました)

こういった面持ちのアプローチは、やはり、気分が高揚する。

15席のカウンター。
端のお席は、小上がりになっていて、

「お子さんが一緒でも寛げるように..」という心遣い。

中央に設られたレンガの火元に置かれた、土鍋や銅製のポットが目を惹いて、凛としたカウンター以上の、心躍る感がある。

40種程度もあるお品書きから、まさに、その日のその瞬間の心持ちで、お料理を選んでみた。

その上で、お店から供される、例えば、蕗のとうのお豆腐、白魚の真薯といった、お皿。
そこに、上田さんの表現される、滋味深い味わいを何度も確認させていただいた。

そして、シグニチャーともいえる、ぐじ松笠焼の香ばしさ。
淡く、綺麗で丁寧な味の加減には、押し付けがましさは全くなく、お若い上田シェフでありながら、ある種の熟練された感覚さえも覚えてしまう。

蕗の薹豆腐白味噌餡。こういうお品こそ、京を最も感じさせてくれる。食感も、味わいも、深く優しい。
白魚の真薯のお椀。
この店のシグニチャーを標榜するぐじ(甘鯛)の松笠焼。
皮目のパリパリ音が弾ける香ばしさ、丁寧に保たれた身の水分量が、その1匹の魚が持つ個性を引き出す。
お造りは、人数分をお任せして、それぞれの枚数も聞いてくれるという、心遣いが嬉しい。この日は、鮪、平貝、鯛の三種。

その上で、この夜、私を完全に虜にした、二品。

筍も鎮座する、熊ロース肉と花山椒の小鍋。

グツグツ出汁もほとばしる、という様相で、土鍋の中で熱く煮える熊の小鍋料理。
カウンターに登場したのちも、しばらく、美味しさのエネルギーを発散し続ける。

この、熊肉の柔らかく、脂のサラリと溶けること…。
出汁の旨みの深さ。
花山椒も、迫力の筍も、熊の印象にすっかり圧倒されていました。

この素晴らしい鍋をいただいた暁には、お品書きにあった、もう一つの小鍋、すっぽん。
こちらも非常に気になってきました。。。

そして、感激の二品目は、

からすみ味噌漬天ぷら

唐墨を天ぷらに…。反則技ともいえる、旨さの桃源郷。

ああ…、これはもう、特別純米の田酒と相まって、同席の友人と共に、何度も唸るしかない美味しさ。
あと数皿でも、数時間でも、これをいただいていたい…そんな想いに駆られてしまいました。

ご提案いただく日本酒は、どれも、すこぶる美酒。
かなりたっぷりお注ぎいただいていると思います。

「つろく」では、誰をも受け入れてくれる、優しい空気がある。

会話も自ずと弾み、お料理も、お酒も、初めての訪問なのに、自分らしく、頂ける。

その様な店は、実は、数多くない。

余韻の長く残る、再訪を心に決める、そんなお店です。

つろく
075-275-3926
京都市中京区松屋町51
月ー土曜 5pm〜
日曜 休み

www.instagram.com/tsuroku_kyoto/

「つろく」さんの動画、京都のお店、海外日本人シェフの活躍など、ぜひ、インスタでご覧ください

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丹 (たん)- 京都でいただく清涼な朝食

高台寺和久傳が手がける、珠玉の朝の時間に、心も身体も洗われる。

京都、三条の白川沿いにある「丹(たん)」で朝食をいただきました。

前夜、思う存分、京都の美食を尽くしても、朝には身体は軽く、そして、健康的な空腹感がある。
これこそが、頭であれこれ考えるよりも、一番わかりやすい、日本料理の良さかもしれない。

中心地街から少し行き、白川橋を渡ってすぐ。
気構えることのない空気を湛えながらも、凛とした印象を感じさせる「丹」。


それは、高台寺和久傳が手がける、お店だと聞くと、納得が行く。
内装は、数寄屋建築を代表する中村外二工務店が手掛け、店名の書は四代目市川猿之助氏だそうだ。
素材へのこだわりと、食べ手への心遣いは、和久傳と同じ想いを共有する。

朝ご飯は8時と9時の2部制で、時間に着くと、店へ入る前から、白川の清涼な水の音と、柳の青に心が洗われる。


大きなテーブルのひと席をいただいた。

熱いお茶をいただけば、朝食のお皿が、順に供される。
胡麻の風味が舞うかのような、白和え。
歯ごたえのしっかり残された、きちんと噛むことで、味わいが立ち上がる野菜。
滋味深いもろみ。
料亭の趣きを感じさせる鱒。
淡い風味の香の物。
美しい井出立ちの生卵。

どれもが控えめで、モダンな軽さをたたえた美味しさがある。

しかし、圧倒的に打ちのめされたのは、炊き立ての白ごはんだった。

丁度、食事の途中で炊き上がり、土鍋の蓋をあけて、その蒸気が立ち昇る様を間近に見る。
この時「あ、そうか。だから開始の時間が決まっていたのだ」と、気づかされた。

お茶碗に盛られた艶々のご飯は、口当たりはさらりとしていて、まるで陶磁器のような滑らかさがある。
ネバネバとした感触は一切ないのに、口に含み、噛み締めると、甘く、濃醇で、ふくよかな芳香が、口いっぱいに広がる。
綺麗な美味しさの余韻が、じんわりと、続いていく。
お茶碗に、スクっと収まっているので、箸で最後の一粒まで、苦心なく摘めてしまう。

米は、京丹後・久美浜市野々の自家畑の米だという。
無農薬・無化学肥料で栽培され、「土作りから始まり、苗作り、田植え、人力除草、草刈、稲刈り、脱穀に籾摺り・乾燥、検査そして精米。まで一貫して自社のスタッフが行っています」と説明にある。

こだわりは、文字のためだけではなく、きちんと味わいに結びついていて、本当の美味しさとして、昇華してあった。

この、ご飯のためだけに、また、訪れたいとも思う。

上質の朝の時間は、食後まで、しっかりと引き継がれていく。
2階の席で、ゆっくりとセルフサービスで食後のコーヒーが頂ける。
階段を上がる途中から、この上に、更にすこぶる何かがあると、期待させられて止まない。
そして、その期待を超えるかのような、光景が、目に飛び込んでくる。

川のせせらぎを、開け放たれた一枚絵画のような窓から眺め、爽やかな一日を始められることに、単純に感謝したくなる。

京都の朝ご飯、珠のような場所。

丹 tan
TEL. 075-533-7744
京都市東山区五軒町106-13三条通り白川橋下ル東側 MAP
朝食 8時~・ 9時~[2部制]

昼食 12時~15時

夕食 17時~21時

http://tan.kyoto.jp
www.wakuden.jp/ryotei/tan